様々なものごとや人に対して、
どんな姿勢で相対しているか、
というのは、
どんな方法やツールを使うかよりも
大事だということを、これまで
繰り返し書いてきました。
どんなに素晴らしい、評判の良い
方法やツールを使ったとしても、
それを使う主体の在り様が
できていなければ、意味がありません。
だから、今あなたは、事に臨んで
どんな在り方をしているのか?
と問うのです。
セッションでも、しばしばこのことは
繰り返し問われることで、本人がいかに
自分の真実を生きたいですとか、
内なる神に触れたいです、
と言っていたとしても、
では、今すぐそれを実行する在り方に
なっているだろうか?と問うた時に、
即座に自身の深いところを感じて
Yes!と応じられる人は稀です。
自身の深いところを感じることもなく、
準備はできています、そのために
来ているのですから、と答える方も
ありますが、
感じないで上っ面だけで答えているなら、
準備はできていないのです。
肚の底からの自身の言葉と、
頭で考えたところから発している
言葉の違いもわかっていない
わけですからね。
その違いが分かるような感性を磨き、
在り方をしなければいけません。
何かを望んだ時、
誰もが必ずしもその望みの本質を
最初からわかっているわけでは
ないでしょう。
その望みを叶えるために、
本当のところ、自分が何をしなければ
いけないのか、いざ取り組んでみて
初めて知ることが多いと思います。
気軽な気持ちで取り組めることもあれば、
一段二段深いところを目指すならば、
さらに別の気構えも必要になります。
そうなったときに、
自分は口にしたその望みを叶えるだけの
姿勢を持てるだろうか、という
問いかけが起こるわけです。
それはまた、その望みは本当に
自身の奥深いところからきた
真実の望みなのか?という
問いかけでもあります。
いや、そこまでのことは
望んでいなかった、
頭で何となく良さそうだから
自分もそうしようと思っただけだ、
ということもあるだろうし、
本当に、心底の望みだと
改めて深く認識することも
あるでしょう。
ある程度、本気で
持てる力を振り絞って
エネルギーを注いでいかなければ
いけないようなことは、
本当の望みでなければ
そうそうはできないことです。
勢いで突破しようとする人もいるけれど、
本当の底力は、勢いだけで発揮できる
ようなものではありません。
恐れを越えて、
それでも今の自分の限界を
打破していきたい、と
口先だけではなく思えるのなら、
道は必ず開けるでしょう。
頭も肚も魂も、迷いなく
ぴたりと一致したところで
発揮できる力があるんですね。
逆に言えば、そういう姿勢で
臨むことができることならば、
それは自分が生きる道である
とも言えると思います。
頭で色々な損得や欲や世間体、
義理人情などを考えると、
そういう純度高い生き方からは
どんどん離れていきます。
自分自身の真実からくる導き
というのは、そういうものとは
全く違ったレベルからやってくる
ものなので、
常日頃から、
どこに意識をチューニングして
生きているかがとても大切です。
そして、
常に導きを第一にして在るからこそ、
わかること、発揮できる力があるのです。
今、自分がどのレベルで
自分自身の命に向き合っているか。
望みを生きようとしているのか。
純度高く、自身の命の光を
磨いていきましょう。