5日(水)19時からの
満月のオンライン瞑想会、
まだまだ参加者募集中です!
今この瞬間に、自身の歩みを
刻んで参りましょう!
無料遠隔ヒーリングの参加者の方には、
エネルギーが干渉し合わないよう
調整しますのでご安心ください。
さて。
人は、自分でもそれと気づかぬ内に
何か都合の悪いことから逃避している
ことがあって、それが堂々巡りを繰り返す
原因になっていることがあります。
それにも色々なケースがあるのですが、
とかく、高尚なもの、道徳性の高いもの、
一般に、もっともらしく、良いこと
のように捉えられることの形を使って
どこかで感じている違和感を頭で
納得させて、収めるのです。
特に、霊性の歩みを求める人に多いのが、
理想とは程遠い自分、到底信頼できない
自分を避けて、直接大いなるもの(神)に
繋がろうとすることで、
エゴを消して、神に自分を委ねてしまえば、
間違う心配もないし、神と一体の我となって、
ひょっとしたら悟れてしまうかもしれないし、
虚しく、どうしようもないこの自分を
どうにかしようと奮闘する努力も
要らなくなる、というわけです。
以前からこれについては何度か
書いてきているのですが、
私はこういう在り方は逃避だと
考えていて、
実際、エネルギーから拝見しても、
何とも不健全な様子が読み取れるので
その在り方は、在るべき人の在り様ではない
とお伝えしています。
大いなる神はすべてであり、ワンネスであり、
すべては一体である、と言いながら、
なぜその「すべて」の中に、唯一
自分だけが含まれないのか。
矛盾しています。
私は、神は自身の内側、深奥にいる
と感じているので、自分を捨てて
大いなる神に至る、という発想が
ないのですよね。
むしろ、自分自身を深く深く追究
していった先に、神なるものに触れる
わけなので、
神に出会い、触れようとするならば、
あらゆる自分に対峙することが
必要になってきます。
けれども、そういう歩みの中で、
言葉にならない神の呼びかけの気配を
知ることがあったり、
自分にだけ意味を成す、特別な対話を
重ねる中で、神とともに歩む人生の
感覚が深まっていきます。
それは、体験からくる
完全に自分だけのプライベートな感覚で、
誰かから教えられたり植え込まれた
概念ではありません。
自分を通り越して神に至ろうとする人は、
その神をどうやって知ったのでしょうか。
それは、どこかや誰かから教えられた
マインドの概念ではないでしょうか。
だとするなら、結局その人は、
マインドの中で、神を探していることに
なりますが、実在の神は、決して
マインドの中にはいません。
そこにあるのは、神の概念のみで、
幻影を追っているにすぎないのです。
自分に対峙する辛さから逃げたところで
何を得ようというのでしょう。
どれだけ神について語ろうとも、
本当に神の実在に触れていなければ、
空虚なものです。
ただ一瞬、高尚な思考をしている
優越感や満足感、安心感は
あるのかもしれないけれど、
そんなもので、心の底に渦巻く
様々な不安や恐れなどは
消えはしません。
最も見たくない、認めたくない
自分にこそ対峙し、その苦しさを
昇華させるように。
その向き合い続けた事実は、
必ずあなたの魂に意義ある何かを
刻みます。
それがあなたの誇りになり、
力になるでしょう。
易き門に流れぬように。
真に心ある者は、
このことがわかるはずです。
ゆめ、忘れることなかれ。