この瞬間に刻むもの

世界があらゆるレベルで大きな変革を
迎えているこの時代に在って、私は今、
何を自分の人生に刻んでいこう。

そんなことを最近、考えています。

古今東西、時空を超えて、
様々な人たちの人生やそこに込められた
思いに触れて、言葉にし難い
ある感覚を抱くようになりました。

一人の人間の誕生から最期までを
辿っても、その一生の価値を
量ることはできません。

けれども、その人生のストーリーの
善悪や幸不幸を越えて、そこには何か、
胸に迫るものを感じずには
いられないのです。

その人が偉かったとかクズだったとか、
すごいことをしたとか、ただ虚しく
生きたとか、そういうことではないのです。

人知れず、
その人の内で湧き起こった思いや
感情、見つめた景色、聞いた音、
嗅いだ匂い、触れたものの温度、感触。。。

それらすべてが、神に記憶されている。
知られているという「事実」に、
ただ、心が震えるのです。

知られているから、
ちゃんとしようとか、
より良く生きようとか
そういうことでもなく。

であるからこそ、
何を刻もうか、と思うのです。

人間、何かしてほしいという
わけではなく、ただ知っていてくれている
というだけで、成仏できる思いが
あるのですよね。

誰にも知られずに消えていくことの
孤独と辛さ、悲しみが、

何をしてくれるでもない、
ただ、あなたが知っていてくれている
というだけで、十分ということが
あるのです。

そういう無数の思いに触れたときに、
人生の価値というのは、
巷で基準とされているようなものとは
全く違う意味というか、眼差しがあるのだ
というのが理屈を超えて感じられるのです。

その眼差しを感じながら、
私が今この瞬間に刻むものは、
自分のこの在り方のみ。

在り方というのはHow to
ではありません。

この文脈での在り方を
敢えて言葉にするとしたら、
存在を通して、あの眼差しと対話する、
みたいな感じでしょうか。

この瞬間の刻まれるのは、明らかに
為したことではなく、在り方の方です。

瞬間瞬間、この自分を刻む。

あの永遠の眼差しに触れて。

そのようにして生きるとき、
その人は人生の別のレイヤーを
生きるようになります。

ふと、ある本の中で語られていた
言葉を思い出しました。

永遠を生きているような人。

これは、幼少期から
あるネイティブアメリカンの
シャーマンであり戦士でもあった人に
様々な教えを受けて育った著者が、
その師を評して言った言葉でした。

その方も、あの眼差しとともに
生きていたのだ、と思いました。

すべてを知ってくれている
あの永遠の眼差しに触れているが故に、
彼もまた、永遠を生きていたのです。

もちろん、その方の肉体は
既にこの世にはありませんが、
彼は永遠に帰っていったのでしょう。

人はなぜ、あの永遠に触れると
万感胸に溢れ、ただ涙が流れるのだろう
と思います。

淋しいのでも悲しいのでも嬉しいのでもなく、
表現し難い感覚に、ただただ圧倒されるのです。

だからこそ、この瞬間の自分の人生に、
もっと丁寧に自分自身を込めよう
と思うのでした。

関連記事

お知らせ
●満月のオンライン瞑想会
2026年
5月2日(土)17:00~20:00
5月31日(日)17:00~20:00
6月30日(火)19:00~22:00
・・・
●2024年10月から開始されるレプリコンワクチンを接種された方は、対面、遠隔、無料遠隔ヒーリングをお受けいただくことはできません
・・・
●もしこちらの新サイトのブログが更新されてなかったら、以下のサイトをご確認ください。
・・・
アメブロ
https://ameblo.jp/25258pkou/entry-12734758809.html
・・・
Facebookアカウント
https://www.facebook.com/mariko.uchiyama1
最近の記事
  1. この瞬間に刻むもの

  2. ある日の鏡のセルフワーク

  3. 深く触れ合える関係性を構築するために

  4. 命の願いの真意を聞く

  5. 新たな風を入れる

カレンダー
2026年4月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  
TOP