自分の分相応を知る

分相応という言葉があります。

その人の実力や身分、地位などに
釣り合っている様子という意味の言葉で、
多様性が叫ばれる昨今においては
時代錯誤で古臭いとも取れるような
言葉かもしれません。

ただ、個人的には結構大事なこと
なんじゃないかと思っています。

何も背伸びをして努力をするのが
良くないとか、敢えて控えめに
振舞うのがダメだとかそういうこと
ではなく、

エネルギーをリーディングしていて
明らかにその人にとってはふさわしくない
在り様だと感じられるケースがあって、

本人も無意識なのですが、
それが生き辛さの原因になっている
ことがあるからです。

よくあるのが、
自分自身の力のスケールを誤認している
ケースで、もう随分様々なところが
成長変化されていて、次の段階に
進んでいるのに、

本人の意識ではまだまだ自分は小さい、
できないんだと思い込んでいて
その自分のままの振る舞いを
しているケースがあります。

たとえて言うと、
既に中学生になっているのに、
本人の意識ではまだ小学生どころか
幼稚園生の意識で、そういう振る舞いを
しているとなったときに、

傍から見るとその人に、ものすごく
違和感を感じるでしょう。

いやいやあなた、もうそれは
十分自分でできるよね?
自分で立って歩けるのに、どうして
人がやってくれるまで待っているの?
一人でトイレにも行けずにもじもじ
しているのはなぜ?

というように、
とても滑稽に見えるだけではなく、
人がやってくれないと拗ねている
その人自身も、不自由で苦しいのです。

自分でわざわざ苦しい在り方を
選んで不平不満を言っている
とも言えます。

まさに不必要な苦しみなわけです。

だから、自分自身を良く知って、
ふさわしい在り方をすることが
大事だと思うのです。

また、自分を過大に評価して
背伸びし、苦しいこともありますね。

これは力量の過大評価というのも
あるのかもしれませんが、
方向性を見誤っているケースも
結構あるんじゃないかと思っています。

たとえば、
本当は個人競技の方が向いているのに
団体競技をしているとか、

ダイナミックでクリエイティブなことの方が
得意なのに、ち密なチェック作業を
やっているとか、

まるで合わない方向性に
自分を無理やりはめ込んでうまくできないとか
才能がないと思い込んでいるけれど、

実は同じ自分の資質が別の場面では
ものすごく役に立って活躍できる
力になったりするんですね。

昔から適所適材という言葉がありますが、
これも分相応という言葉のバリエーション
の意味もあるな、と思うのです。

そう考えると、今度は
自分の「分」をいかにして知るのか
という命題が浮上します。

今の自分にとって、何が相応なのか、
自分の限界に挑戦し続けている人は、
多分、ここまではできる、けれど
ここから先はちょっと厳しいという
境界線に常に対峙していると思います。

ただ、そういう人も、
見方を変えたら別の景色が見えてきた!
ということも大いにあるので、
「鏡」を使ったり第三者の目線から
アドバイスを受けたりするのも
大事だと思います。

外側ばかり見て比べていてもいけないし、
自分の内側だけ見ていても死角はあるので
内側外側、両方からチェックしていく習慣を
つけて行きましょう。

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