覚えていることの恩寵
インドの聖者ラマナ・マハルシは、「私を覚えていることが恩寵である」と言いました。出会っても、すぐに忘れていく人もいたり、さっぱり覚えない人、
インドの聖者ラマナ・マハルシは、「私を覚えていることが恩寵である」と言いました。出会っても、すぐに忘れていく人もいたり、さっぱり覚えない人、
「このままじゃいけない自分」が、「このままでall OK」な自分だとするなら、どんな風に世界は変わるでしょうか。このままの自分で在ることの結
神の愛は、決して私たちが望むような形ばかりで表れるわけではないし、一見正反対と思えるような厳しい姿でやってくることもあります。その計らいに私
けれど、だからと言って本人の努力が全く無駄であるとか必要がないとは、私は思いません。内なる神に回帰しようとするとき、恩寵とともに在るのは確か
「避けている」というのは、ニュートラルなスタンスで特にそれに入り込んでいないという状態とは明らかに違います。私たちのとても自然で、神聖な側面
世界は既に私の知っていた、思い描いていたようなものではなくなっている。その思いが、何だか今自分が拠って立つこの世界の足元を心許なくさせるので
自分に向き合うということを本当に続けていくと、必ずこれまで避けて通っていた課題に直面します。それは前進した結果、訪れるものなので、苦しいこと
恩寵は常にあなたとともにありますが、それに気づき、自分のハートを開いて受け入れるかどうかはあなた次第です。どんなに周囲が助けたくとも、「自ら
恩寵というのはいつでも、私たちが手を伸ばし、胸を開いて受け取られることを今か今かと待っているのだと感じます。それは、選ばれた人にだけ流れ込む
ワークは常に破壊と創造の繰り返しです。積み上げてきたどんな成果もプライドも、根底から破壊され、その灰塵から全く違った新たな自分が生まれてくる