自身の本道を生きている人は、
その人本来の魅力が滲み出るような
良い面構えをしていますよね。
自分の持っている力を存分に
出し惜しみせず発揮していて、
その生き方が楽しくて仕方ない。
そんな喜びが押さえきれずに
自然に溢れてくるような様子に、
見ている側も、何だか楽しくなって
ニヤニヤしてしまう、みたいな。。。
そんな幸せの連鎖が広がって行ったら、
世の中はどんなにか平和で素敵で
幸せな人たちで溢れるでしょうか。
様々な方々をリーディングしていて、
今目の前に見える姿がどんなに
気落ちしていたり、迷いの中で
荒(すさ)んで見えていたとしても、
それがそのまま、その人の
本性ではないわけです。
じっとその姿の奥に深く眠っている
本質にフォーカスすると、
凛々しく、神々しいまでの
魅力溢れる可能性が見えたりします。
それをお伝えすると大抵の方は、
まさかそんな自分にそんな可能性が
あるなんて、信じられない!
という反応を示されます。
まぁ、ご本人がそう思われても、
私には見えてしまったのだから
仕方がありません。
で、何度かセッションを繰り返す中で、
あるとき、確かにその本質が
ご自身の中にあることを知るんですね。
言われていたことは、
確かにそうでした、と。
私にも、勘違いや読み違いをするときが
あるかもしれません。
でも、お世辞で見えもしないことを
言うことはないので、今のところは、
当たってるか、まだ道半ばというところ
でしょうか。
(そう言うと、何とでも
言えてしまいそうですね。笑)
どんなに素晴らしい可能性が
あったとしても、それを具現化させる
努力は不可欠です。
天命、天職があったとしても、
それを全うできる力が最初から
開いた状態であるとは限りません。
むしろ、自分に本当にそんな力が
あるんだろうか?と疑うくらいに
ものすごく苦手意識あったり
することもよくあります。
そういうところから、
肚を決めて自分の人生と、
あらゆる自身の要素に向き合う中で、
その才能を使いこなす器量が
磨かれていきます。
眠れる才能はその人の人生を導き、
その人は才能によって自分を知り、
人生の学びを得ていくのです。
スケールの大きな才能ほど、
それを使いこなす器量を身につけるのも
相応の関門を超えなければいけない
ケースも多いです。
避けて通れるものなら避けて
楽をしていたい、と思っても、
人生はそれを許しません。
様々な呼びかけによって、
逃げている課題に向き合わざるを得ない
流れになっていきます。
そこで逃げ続けていると、
どんどん気持ちもぐだぐだになって、
自分を見失い、無限地獄の出口もわからない
人生の迷子になっていきます。
そんな葛藤から脱出するには、
お手軽で簡単そうに見える
場当たり的な対処より、
とことん逃げ道を塞いで
逃げてきたものに向き合うことが
最善です。
苦手に向き合うのは
とても苦しいことかもしれないけれど、
謙虚に、誠実に肚を括って取り組むことで、
それは後で必ず力となって花開いていきます。
そういうところに
逃げずに取り組めたなら、
その自分を誇りに思うでしょう。
そうして、
力を奮う器量を身に着けた時、
本当にやりたかったことを
存分にやって、
自分も周囲も、喜びながら
良き世界を創造していく
循環に入ります。
その時あなたは、
後ろ向きになってブレーキを踏む
暇もないほど、
自身の本分を果たしていくことに
夢中になって生きているでしょう。
そんな調和と幸せで満ちたあなたを、
どうぞ存分に生きていかれますように。