人生、 何でもかんでも
思い通りに行くわけでもなく、
時には我慢しなければいけない
こともあったりします。
けれど、我慢ばかりが
積もり積もっていくと、
叶えてもらえなかったニーズに
傷ついた気持ちは、
やがて歪んだ形で
自分や周囲を傷つけたり、
様々な不調和な現象の元
になっていきます。
キャパを越えた我慢は
やがて被害者意識や無力感、無価値感
となってその人の心を蝕みます。
とかく控えめと言われる我が国の
文化においては、あまり自己主張をせず、
周囲に「合わせて」振る舞うのが
良いという価値観で生きている人も
多いです。
それはある意味、相手への気遣いや
優しさの側面もあるのでしょうが、
本当に自分軸がない状態で
ただ周囲から浮かないように、
叩かれないようにと言う恐れから
そうしているのだとしたら、
それは自分自身への責任を
果たしていないことになります。
自分のニーズに気付き、受け止め、
それに本当に応えて自分を幸せにして
あげられるのは、自分しかいないし、
それはまさに、自分の、
自分自身への責任なのです。
それを放棄して
誰かが代わりにそれをしてくれるのを
待っているのは、筋違いの期待だし、
まして、誰かがそうしてくれなかったと
被害者意識に陥ったり、相手を恨むのも
大きな勘違いです。
それをしなければいけないのは、
誰かではなく、あなた自身なのです。
このように言うと、
抵抗感のある方も一定数おられます。
誰かが責任を持ってやってくれた方が、
確かに楽ちんですよね。
でも、そういう生き方は
どうしても他者を自分の思うように
動かさなければ自身のニーズが
満たされないが故に、
他者をコントロールするようになり、
とてもフェアな清々しい関係には
なれないんですね。
一見楽ちんのように見える
その在り方は、自身のパワーを
健全に使う在り方ではないので、
依存と被害者意識と無力感、無価値感が
常に付きまとう、とても幸せには
なれない在り方なのです。
そういう生き方をしている人は、
鏡の法則を通して、
自分の責任を果たさずに依存してきたり
責任転嫁してくる人を引き寄せます。
たとえば、
職場の上司が自身の果たすべき責任を
まるで認識しておらず、誰かが
やってくれるのが当然と言う態度を
とっていたらどうでしょう?
悪意なく、人柄がよくても、
ものがわからない人、仕事ができない人
という評価をされてしまうのが
落ちではないでしょうか。
それは、まさにあなた自身の鏡であり、
あなたが自身の立場、果たすべき責任を
認識しておらず、無責任な在り方を
しているよ、ということなのです。
何でもかんでも相手の言いなりになって
自分は我慢しているというのは、
自分の尊厳を容易く自身で
踏みにじっているのと同じです。
時には尊厳を守るために
断固とした姿勢で主張しなければ
いけないときもあるし、
いつでも温和で優しくいるのが
正しいわけではないのです。
表面的な平穏のために自分を差し出し、
売り渡す人は多いけれど、
安易な他人軸のためにいかに失う物が
大きいのかということに
無自覚の人は多いです。
どうぞ、自身の尊厳を大事にし、
自分を幸せにしてあげられる
自分であってください。