何を指針に人生を生きるのか。
人によって、何か宗教的な教えであったり、
尊敬する誰かの言動、ふと読んだ本の中で
感銘を受けた言葉など、様々あるでしょう。
善きご縁の存在との出合いは、
人生を豊かにしますね。
ただ、それがどれだけ
血肉となっているのかを思う時、
まさに言葉通りに「取ってつけた異物」
のように、頭の雰囲気だけ
何となくその気になっている様子を
見て取ることがしばしばあります。
善き出合いに染まること自体が
悪いわけではないけれど、それは
本当に自分の生きる道に出合うための
きっかけに過ぎません。
真似事から入っても、それを通して、
本当に自分の生きる道を自分で見出す
力や感性を身に着けていくことで、
真似事が本物になっていく。
真似事を真似事のままにしていては
ダメなんですね。
他人の道を、そっくりそのまま
なぞるのが正しいのだと
信じている人もいるけれど、
それでは借り物のままです。
我流の流れよ、と言っているわけでは
ありません。
本質を、正しく掴み取れ、
ということなのです。
誰かの言うことを鵜吞みにするのは
論外だけれど、鵜呑みにはしておらず
自分なりに判断しているつもりでも、
本当に自分自身の命に向き合って
いなければ、それもまた同類、
と思います。
向き合っているつもりになっている
分だけ、余計に厄介かもしれません。
自分の命は何事か、この自分に
伝えてきているだろうか。
自分は本当にそれを受け取ろうと
しているだろうか。
受け取って、それをまさに体現して
生きることに、肚を決めているだろうか。
どこまで深く、その肚を
決めているだろうか。
まだ逃げ道を残し、言い訳をして
結局、背を向けて自分を裏切って
いないだろうか。
私たちの意識には何層もの深さがあって、
浅いところと深いところで全く違った
方向を向いていることがよくあります。
口先だけでは何とでも言えるし、
肚の底で裏切っていることなど
吐いて捨てるほど、どこでも
見られる姿です。
その自分が自覚できればまだ良い方で、
自覚できないほど、自分で自身の
裏切りを隠し、自分に嘘をついて
騙すのです。
そうした嘘偽りを正し、
浅いところから少しずつ深いところを
一致させていくほどに、
その人の在り様は磨かれ、
存在感は深まっていきます。
自分の命に対して、
誠をもって生きることで
わかることは、とてもたくさん
あるんですね。
昔から、嘘をついてはいけないと
躾けられてきたのはなぜかというと、
嘘をつくと、自分の命に対する感性が
とてつもなく濁り、曇ってしまうからです。
そうなると、本当に自分が生きる道が
わからなくなります。
ここからその感性を取り戻していくには、
あらゆるレベルで、嘘を改め、
誠を生きていくことです。
誠で嘘を雪ぐ(すすぐ)んですね。
嘘で成り立つ表面的な平穏や
得られる利益一切を捨てることができるか。
それが恐い人もあるでしょう。
そこにしがみつくのは、
命に対する感性が鈍っている人です。
どれだけ表面的に成功していても、
たくさんのものを持っていても、
そこが曇っていたら。。。
あなたの価値観ではどうでしょう。
人生で何を最優先に生きるのか。
その優先順位を変えるのは、
相当なチャレンジでしょう。
でも、それを問うことは
自分自身の人生に深い気付きを
もたらします。
あなたにとって、最高最善の
価値ある人生を生きられますように。