6月の満月の瞑想会が終わって、
今度は21日の夏至の瞑想会ですね。
こちらもまだまだ参加者募集中です!
さて。
私たちには様々なレベルの願いや
ニーズがあります。
私はよく、命の願い、導きというような
表現で、深いレベルの叡智が私たち個我
を通して表現したがっているものについて
お伝えしています。
命の願いに心を澄ませ、
聞くように意識を向けていると、
だんだんとそれに意識がチューニングされ、
宇宙の叡智と私たちの人生が調和して
運ばれて行くようになってきます。
だから、常に普段から日常の行動、
考えが導きに沿ったものなのかどうか、
問うことが大切なのです。
けれど、命の導きに意識を向けている
つもりでも、実は欲望の声に
引っ張られているだけ、ということも
しばしばあります。
その識別ができなければいけないのですが、
違いを掴み切れていない人にとっては、
ここがなかなかの関門になります。
欲望の声、ニーズの声は、
導きよりも浅いところからやってくる
感覚があります。
そして荒く派手で、ある種わかりやすい。
一方の導きの声は、とても繊細で、
心を静めていないと、容易に
欲望の声にかき消され、聞き取れません。
そうでありながら、
導きに合致した在り方をしているとき、
私たちは深いところで安堵し、
自分が正しい在り方をしていることが、
理屈を超えてわかるのです。
欲望の声は多くの場合、
もっとギラギラしていて、強い高揚感が
あったりしますね。
だから、ものすごく強烈なインパクトを
心身ともに刻んで、人生の鮮やかな
一幕の記憶になったりします。
それがどれだけポジティブなもの
であろうと、宝物のような素敵な記憶
になろうと、
だからと言って、それが必ずしも
導きに合致するとは限らないのです。
それが良いとか悪いとか、
偽物、本物と言っているわけでは
ありません。
ただ、命の導きとは、
もっと違うレベルの心底
腑に落ちる、独特の感覚があるのです。
ここで敢えて私は「特別な感覚」とは
言わずにいるのですが、
そう表現してしまうと、多分、
欲望やニーズが深く満たされたときの
ポジティブな感覚も、そう表現
されるだろうと思うからです。
人生のプログラムからしたら、
導きとは違うけれど、「特別な感覚」の
強烈なインパクトの体験もまた、
織り込み済みのシナリオなのかもしれません。
それもそれで、人生を彩る
大切なパーツの一つです。
ただ、導きはもっと違うレベル、
違う文脈からあなたを導いています。
それに従い、乗ることに同意するのかしないのか。
本当に同意し、
自身の歩みをそこに向け始めた時から、
あなたの人生は別の質感の流れに
乗っていくでしょう。
古い価値基準を後にして、
導きが差し出すものを本当に受け取る者は、
自分と言う個我を越えた、はるかに大きな
叡智の潮流の一滴となるのです。