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さて。
自分の思いを適切に表現することって
大事なことです。
様々な方を見ていて思うのは、
人間関係の苦しみは、
自分の思いを適切に表現できない
ことから来ているものも多い、
ということです。
たとえば、
自分の真実とは真逆のことを
言っていたり、言いたいことを
飲み込んでひたすら我慢していたり、
あるいは、適切に表現できずに
いきなりキレて暴力や暴言となって
自分や相手を傷つけたり。
心当たりのある方、
少なくないんじゃないかと思います。
自分の内面の状態を表す
的確な語彙自体を持っていないとか、
コミュニケーションの方法を
知らないが故に、
必要以上に傷ついて、攻撃的になったり
抑圧的にならざるを得ない人は、
たくさんいらっしゃることでしょう。
私の身近な例で取り上げてみれば、
亡き母も結構その辺りがこじれた人で、
一言言ってくれれば全然やったのに、
ということでも黙ってひたすら
念を送ってくるという
面倒臭い癖があって、
こちらが汲み取って動かないと、
変に被害者意識を爆発させて
やってくれない!とかいうところが
ありました。
まぁ、それもそこに至るまでに
長年、言っても応えてもらえなかったとか、
言うこと自体を抑圧されてきたとか、
言ったが故にひどい目に遭ったなどの
様々なトラウマがあったのだと思います。
それにしても、
お茶淹れてほしいとか、あれ取ってとか、
これやっといてほしいとか、
目の前にいる娘にそんな簡単なことすら
言えなくなっていたとしたら、
随分生き辛かったろうと思います。
一時は万事、なので、
簡単なことからでもいいので、
今自分はこんなことを感じている、
こうしてほしい、これは止めてほしいなど、
まずは結果にこだわらず、
伝える訓練をしていないと、
簡単ではない、ちょっとした大きなことでは
なおさら言えない自分で固まってしまう
のではないでしょうか。
以前にも書きましたが、
言わずに我慢してのみ込むのと、
言った結果、応えてもらえなかった
というのは、
結果は同じですが、
自分に対する責任という意味で、
大きな違いがあります。
つまり、自分を幸せにする責任
という観点から見ると、
自分の気持ちやニーズを表現して
相手に働きかけるということは、
自分自身に対する責任を果たす
行動なのです。
それをしないで飲み込んで終わりにする
というのは、自分に対する責任を
果たしていないことになります。
後者のケースでは、
どこまで行ってもひたすら
自分に対する責任を取る方向には
動かなさそうですが、
前者であれば、
初動で自分に対する責任を果たしており、
望みが叶えられなかったとしても、
その結果を引き受けて、次の行動を
自分で起こすエネルギーはありそうです。
こういうことが無数に繰り返されたとき、
両者の人生は全く違ったものになるのは
必然と言えるでしょう。
私はこのように感じている。
だから「自分の意志と責任において」
こうする。
というのは、自分軸の基礎であり、
この在り方が真の力を汲み上げる
カギなのです。
だから、ここが表現できない人は、
真の意味で自立はできません。
何を恐れ、何が引っかかって
言えなくなっているのか、
よくよく掘り下げていく
必要があります。
自分の感じているものを
恐れないでください。
あなたの中には、ちゃんと
それに適切に対応できる力はあります。
ただ、その方法を学びましょう。
あなたが人生の豊かさを
享受できますように。