人生、本当に困難な時ほど、
恩寵は深いもの、と
常々思っているのですが、
それというのも、
困難な時だからこそ、
開く心の扉があるからだと
思うのです。
通常の時だったら、
見栄やプライド、様々なこだわり
などなかなか手離せないもので
自分を鎧の中に閉じ込めて
しまっています。
けれど、そういうものが
どうやっても維持できない位、
限界ギリギリの状態になると、
もうなりふり構っていられません。
そういうものをはぎ取って、
本質でぶつかっていくしかない。
だから人生は、硬直して
なかなか自分では外せないそれらを
否応なく剝ぎ取っていくために、
困難を通過させるのではないか、
と思うんですね。
その人自身の限界や壁を越えて、
新たな可能性、世界を見せるための
その困難と思うと、少しは有難い
と思えるかもしれません。
ただ、困難を糧にできるか、
被害者になってすね、いじけてしまうかは
その人次第だとは思います。
みんながみんな、困難を糧にして
良い方向に舵を切って行ける
とは限らないですものね。
理想的にはそうあってほしい
ものですが。。。
そのときに、どれだけ
その人の周りに救いがあり、
希望があったか。
四面楚歌の状況であっても、
見捨てず、たった一人でも
味方になってくれた人がいたら。
過酷な荒野を一人、
歩き続けるような日々でも、
親切な人の心遣いに、一度でも
触れることがあったら。
人知れず、その人のために祈り、
祝福してくれる人がいたら。
そういう微かな光が、
その人の明暗を分けるときも
あるのだと思います。
そして、そういう希望に
触れられるかどうかは、
その人自身が積んできた徳
によるのでしょう。
損得を越えて、誰かのために
してあげたことが戻ってくるのは、
そういうときで、宇宙の不思議な計らいを
感じずにはいられません。
誰にでも、生涯に何度かは
困難な時期というのがやってきますが、
覚えておいていただきたいのは、
そういうときに、できる限り
自分を閉ざさずにいることです。
色々なことがうまく行かなくて、
苦しくて、辛すぎると多くの場合、
人は自分を閉ざして引きこもるように
なります。
人を疑い、自ら孤立し、あるいは
孤立させられ、孤独になります。
けれど、そんなときでも、
恩寵が完全にあなたを離れることは
ありません。
そのことを、覚えておいてほしいのです。
閉ざし、孤立したところに
魔が入りやすいのです。
だから、どんなに物理的に
孤立したとしても、心の内側深奥までは、
閉ざさないでいてください。
すると、深い孤独の中でも、
自分を導く大きな力の恩寵が
感じられるときがあります。
閉ざしたら見えなくなる扉も、
ちゃんと目の前にあるのがわかります。
いじけ、すねて見るのを止めたり、
背を向けてしまったら、
もうその扉を開けてその向こうに
行くことも、できなくなってしまいます。
深い苦しみの中でそれをするのは
なかなかに難しいかもしれませんが、
時空を超えて、あなたのために祈り、
祝福してくれた存在があることを
どこかで感じてみてください。
そして、あなたが困難な時期を越えて
笑える日が来たら、今度はあなたが
誰かのために祈ってあげてください。
そうして送られた恩が、
誰かの命を救うでしょう。
あなたも、そうやって今、
生かされているのかもしれませんね。
今、困難な状況にある方に、
この祈りと祝福が届きますように。