久しぶりに、同じような
嫌~な出来事が続いたので、
これはお知らせだな、と
セルフワークしてみました。
それが、ゴミの不法投棄のことで、
一つ目は、家の横にある自動販売機の
ところに置いてある、空き缶やペットボトル
のリサイクルボックスにそれ以外のカップの
ジュースのゴミを捨てる現場にたまたま
出くわしたことでした。
サラリーマン風の男性が、まさに目の前で
捨てて行ったので、そこに入れないでほしい
と注意しました。
そうしたら、その人は謝るでもなく
不服そうに一度捨てたカップを拾って
去っていきました。
どこか見てないところでまた
不法投棄しなければいいな、
と思いましたが、さてどうなったか。
二つ目は、ご近所のレストランのご主人が、
店のエントランスの花を入れ替えたのか、
葉っぱや茎などのゴミが出ていたのですが、
それを道路脇の下水か何かの排水溝の
蓋を開けて、そこに捨てていたのを
目撃してしまったのでした。
昔から曰く付きの人だったので、
注意したところで嫌がらせをされると
恐いなと思って見ないふりを
したのですが、とても不快でした。
また後日、そのお店の隣の空き家の前に、
花を包んでいるセロファンのゴミが
いくつも散らかしてあって、
多分その人なのだろうと思いつつ、
何日も放置されていたので
こちらで処理をしたということが
ありました。
3つ目は、家の向かいの
コインパーキングに、たまにあるのですが
コンビニ弁当の殻やたばこの吸い殻、
空のペットボトルがいくつも捨てられていて、
それも虫やネズミが来ては気持ちが悪いので、
処理をしたということがありました。
これらが一週間の間に立て続けに
起こったので、非常識な人がこんなに
増えている世の中って。。。とちょっと
憂鬱なりました。
さて、ワークでは、
彼らに対して非常識な奴ら!と
クサクサして糾弾する、のではなく、
まず自分の中の不快感や怒りを
受け止めた後に、彼らがそのように
行動した時の動機、感情に注目します。
3つに共通していたのは、
不要になった物をいつまでも自分で
持っていたくない。
けれども、正当なやり方で処理するには
ゴミ箱までもっていかなくてはいけないし、
ゴミの日まで保管しておかなければ
なりません。
でも、それはしたくないので、
手っ取り早く自分の手から離れる方法、
場所で処分して、後は野となれ山となれ、
もう自分は関係ない、という意識。
書いていてふと思い出されたのが、
ゴミではないのだけれど、やっかいものが
手から離れたらもう自分に責任はない
と思っていそうに見えてしまう
ある人の態度でした。
そんなことになったらそれはとても
重大なことなのに、その人は
まるで自覚もなく、責任感ないな、
と思っていました。
お知らせは3つではなく、4つでしたね。
面倒事を抱えているのは確かに
苦しいのだけれど、最後まで責任を
持ちなさいということなのでしょう。
彼らを見ていると、用が済んだら、
もう自分の責任範疇のものではない、
という認識でした。
ということは、私自身も何かについて
そういう認識をしていることになります。
厄介ものを一刻も早く処分して
清々したいけれどそれができていない
苦しさを見つけ、統合していきます。
確かにこの苦しさにはこらえ性が無くて、
雑な判断、作業をしている気がします。
この苦しさに対する態度が、
ゴミを不法投棄する人の態度と
一致しているということなんですね。
ここまで、頭で整理納得するだけではなく、
苦しさを受け止め、きっちり統合できると
面倒事も忍耐強く最後まで始末できる
心の力がついてきます。
それにしても、今までいろいろな苦しさを
統合してきたけれど、う~ん、
これはなんか苦手な苦しさ。
頑張ります。