色々な方とお話をしていて
たまに見かけるのですが、
依存はよくないことだから、
そうならないようにと、
何もかも自分で抱え込んで
却ってそれが自分を追い込む
ことになっている、あるいは、
そうしなければいけないと
思い込んで、助けてもらうのを
頑な拒絶する人がいます。
確かに依存は不健全ですが、
助けてもらうことが即、
依存だとは言えないと思います。
私の考える依存というのは、
自分で自身の人生の責任を
取っていない人の在り様のことで、
そういう人は、まるっと
他人に自分のやりたくないことを
投げていて、やってもらったことの
最終責任を引き受けることは
していません。
気に入らなければ文句を言う
かもしれないし、とにかく
自分の都合の良い結末に、自動的に
誰かが引っ張って行ってくれるのを
待っています。
一方で、依存しないで
上手に助けてもらう人は、
自身の人生に対して、しっかり
責任をもって歩んでいる主体性の
意識があります。
誰かに何かをやってもらって
助けてもらったとしても、
まるっと重荷を他人に投げて
引っ張ってもらうような
意識はなく、
基本は自分で自身の道をしっかり
歩んでいる意識があります。
前者の場合は、精神的にも
依存される側はのしかかられるような
重さ、負担感と、そこはかとない
不快感を感じることが多いです。
肉体的におんぶにだっこをしている
わけではなかったとしても、
そういう人と関わっていると、
精神的にどっと疲れるのですね。
それは、無意識にもその人の
負うべき人生の責任を、不当に
背負わされているからです。
だから、一方的に依存されると
不快感とともに、怒りを感じることが
多いのも特徴です。
ただ、これが共依存になると
また違ってきて、両者がともに
自分では人生の責任を負えずに
相手なしでは自分はまともに
生きていられない、というような
状態になっています。
恋愛ドラマでは、一見それは
美しい愛の形にように見えるのですが、
実のところは、歪な共依存だったり
するのです。
健全な関係性を築くには、
まずは自分自身にしっかり
グランディングすること。
そのうえで、相手と向き合わないと、
ドロドロに絡み合ってしまいます。
自分自身にしっかり繋がるから、
自身の内から力がみなぎり、
自分を支えることができます。
そういう在り方をしているからこそ、
相手の中にも、同じように、
その人自身が自分で立つ力が
あることが、理屈を超えて
わかるのです。
だから、相手を信頼できる。
そういう信頼の眼差しが、
相手を励まし、健全に支える
力になります。
相手を支えようとするならば、
依存を助長するような支え方ではなく、
真にその人が自身の力を見出すような
支え方をしたいですね。
そうやって人は、誰かを支え、
助け合いながら、人生を豊かに
切り開いていくのです。