誰しも心に弱いところはあるもので、
常に冷静沈着でタフに見える人でも、
そこを突かれたら一気に平静さを失い、
取り乱してしまうような
ウィークポイントがあります。
それが激怒のツボであったり
悲しみや淋しさ、恐れや不安、
苦悩のツボであったりするのですが、
そこがトリガーされると、
それらの感情が抑えようもなく
噴き出してきて、抗う術もなく
飲み込まれていくのです。
あるいは、そうしたネガティブな
感情だけではなく、安らぎや快楽、
ある種の高揚感など、ポジティブに
感じられるような感覚も、
実は心の隙が発動している状態
ということもあります。
どちらかというと、
ネガティブな感情や感覚に
巻き込まれているときの方が
わかりやすいかもしれませんが、
ポジティブな感覚に溺れているときは
気づきにくいし、何より本人が
心地良いので、自分から積極的に
浸りに行ってしまい、
まさに今、自分がバランスを崩し、
溺れている状態だと気付かないことが
往々にしてあります。
たとえどれだけ素晴らしい高揚感が
あったとしても、その感覚に執着
があるのなら、既に溺れているのです。
これはよく覚えておかれると
良いでしょう。
心と体はその快楽に引っ張られ、
貪っているのですが、本人は
ほぼ気づきません。
こうなると、周りが引き留めても
聞く耳はほとんど持てず、
自制も利かないでしょう。
そして、様々に判断を誤る。
この状態の段階で、
違和感を感じて立ち止まることが
できた人は、幸いです。
大抵の人は、痛い目に遭うまで
突き進んでいきます。
けれどそうした快楽も、
貪れば貪るほど余計に心身の渇きは
ひどくなるもので、満たされた
と感じたのも束の間、苦悩は
深くなるのです。
執着は、自身の内の渇望を
誰かや何かといった、「外のもの」で
満たそうとするときに生じます。
それを失えば、あの恐ろしい渇きが
否応なく戻ってきてしまうので、
失いたくない、自分の側に
引き留めておきたいと、
束縛したくなるのです。
けれど、
本質的にその渇きを癒せるのは
外のものではありません。
自分で自身のその渇きを癒せなければ、
ずっとその苦しみは続きます。
そして、その苦しみが、
あの抑え難い貪ることへの衝動に
駆り立てて行くのです。
その衝動は、その人の人生を
深いところから大きく揺さぶる
要因になります。
そうした衝動がある方は、
どうぞその奥の苦しみに
深く向き合ってみてください。
そして、それを癒せる自分に
なっていくように。
それができたら、もうあなたは
あの苦しみを恐れることも、
制御不能の衝動に駆り立てられることも
なくなって、
穏やかに自分を満たして
生きていくことができるようになります。
ゆめ、外のもので自分を満たす行為に
溺れぬように。