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さて。
これまでも繰り返し自分軸について
書いてきていますが、今回は
私がその基準としているものについて
書いてみたいと思います。
多くの人が自身の在り様の基準
に置いているのは多分、
頭で考えた理想像だと思います。
その理想から離れた自分の要素を
理想の枠組みの中に収まるように、
色々と自分を矯正しようとする
わけですね。
ただ、これだと
それが必ずしも自分の命の本質に
合っているとは言えないことが
しばしばあって、
思うようにいかない葛藤で混乱し、
自分軸の確立どころか、自己喪失状態
になっている方もよく見かけます。
では何を基準に自分を捉え、
人生の道を定めたら良いだろうか
ということなのですが、
セッションでも私自身のことでも、
私が常に念頭に置いているのは、
内なる神を軸の基盤に置く
ということです。
神というと、人間の歴史の中で
様々に意味づけされ、人によって
全く違った概念となっていて、
とても注意を要する言葉ですが、
私の言うそれは、概念ではなく、
厳然たるリアルです。
神はリアルだと教えてくれたのは、
レナード・ジェイコブソンでしたが、
本当にそれは人間のこねくり回した
おとぎ話の空想ではなかったのです。
神は、手の届かない遠いところにいて、
自分が触れるなんてありえないような
存在などではなく、
自分自身の最も深いところに
離れることなくこれまでもいたし、
これからもずっといるのだということに
言葉を越えて触れ、知ったとき、
私の生きる世界は大きく変化しました。
そのように、
私にとって神はリアルであるがゆえに、
この現実を生きていく基盤と
なりえます。
これがもし概念であったとしたら、
人生は現実から遊離したものに
なってしまったでしょう。
私たちは、神をおとぎ話の世界に
押し込めている限り、真の人生を
生きることはできないと思います。
なぜなら、
神は自身の命の源であり、歴史であり
ここに存在する自分の由縁であり、
道そのものであるから。
神と一体の我、というのは、
高尚で実現不可能な神話の世界の
理想像なのではなく、
それが本来の私たちの姿なのです。
にもかかわらず、
神の存在を疑っていない人でさえ
神を概念の世界に追いやり、
人生のリアルとして求めていない
ことが多くあります。
自ら、まだ未熟だからとか
浄化が不完全だからとか様々に
もっともらしい言い訳をして
遠ざかろうとしますね。
そんなものはただの逃避です。
赤心の誠をもって神に対峙しよう
という気概がないだけで、
夢を見ている自分が好きなだけの
人なんですね。
どれだけそんなことをしていても、
神に触れる日はやってきません。
根本的に、
神をリアルとして生きる人の道と
夢を見る人の道は違うので。
私の言う自分軸というのは、この
赤心の誠をもって神に対峙する
その在り様を言います。
自分に対して、神に対して、嘘偽り、
誤魔化しのない自分で在る姿を通して、
内なる神を体現するんですね。
これが、神と一体の我です。
このように自分を磨くのが、
御霊磨きです。
もう少し言えば、大和魂というのは、
日本人のナショナリズム的な虚栄心を
搔き立てる概念などではなく、
まさに
この神人一体の在り様を言った言葉
なのではないかな、と思います。
さて、あなたにとって神は
体現すべきリアルでしょうか。
自身が生きる道を、
良く見極められますように。