師走のこの時期、
断捨離実行中なんて方も
あるかもしれません。
物を整理することと
心の中を整理することは
本当につながっているんだなと、
今年たくさんの物を処分しながら
感じたのですが、そのあたりのこと、
思いつくままに書いてみます。
1月に母が亡くなってから、
母個人の遺品整理と家業の店の清算を
同時にやってきたのですが、
色々な手続きとともに、膨大な
店の備品や書類、在庫の処分、
母個人の遺品とため込んだ日用品
をはじめとする様々な物の整理が
とにかく大変でした。
物を整理するというのは、
物理的な処分方法、移動などの大変さも
さることながら、それらに紐づいた
感情の整理がなかなかに辛いものが
ありました。
一つ一つに、それと共に過ごした
時間や感情、エピソードが思い出されて、
手に取るだけで胸が痛かったり、
息が詰まったり、泣けてきたり、
掻き立てられるものがあるんですよね。
特に今回は普通の断捨離ではなく、
終わってしまった人生や店という、
この先にはもう続いていかない
歴史の整理であったというところが、
余計に掻き立てられたのでしょう。
私はこういう仕事をしている関係上、
自分の感情には、一般の方よりは
多少、受け止めていく耐性は
ある方だと思いますが、
全くそういうことをしたことのない
方だったら、その心の痛みは
いかばかりだろうと思います。
あるいは、バッサリと切り離すか、
かっちり蓋をしてやり過ごす方も
少なくないのかもしれません。
過去への執着や囚われは、
今自分の人生から失われていくものを
認めることによって浮上する
不安や悲しみ、喪失感などから
自分を守ろうとする心の動き
なのだと思うのですが、
逆に言えば、それらの感情、
心の痛みをしっかり受け止めることが
できれば、囚われから脱することが
できます。
けれどそれの感情があまりに大きく、
受け止める力が小さいほどに、
執着が強く働いて前に進むことが
難しくなるでしょう。
こういう状態で、物だけ先に
処分してしまうと、心のバランスを
保つために、別の何かで支え、
心の空白を埋めるものを呼び込まざるを
得なくなるような気がします。
物がなかなか処分できない
という人は、それらによって、
自分の心の何を支え、埋めているのか
というところを見ていくと、
気づくことがあるでしょう。
もしこれを手放してしまったら、
どんな感情が湧いてくるか、
何を恐れて、避けようとしているのか、
と問うたら、アタリをつけやすいと
思います。
そういう心の隙間、不安定要因を
少しずつ受け止めながら、
感謝とともに物を手放し、
整理していきます。
すると、
古い物が占有していたスペースに、
新たなエネルギーの流れが
生まれてきます。
その感覚は、人によって
軽やかに、心地よく感じられる
ケースもあれば、
慣れない感覚で少し戸惑いがあったり、
不安が掻き立てられたりすることも
あったりします。
ここでも、新たな道を踏み出すときに
大事だな、と感じるのは、
これまでの自分の歩み、歴史を
踏まえて前に進むという感覚です。
過去がバッサリ切り離されて
終わってしまうというよりは、
それらの歴史がちゃんと自分を
背中から支え、押してくれている
安心感が、勇気につながっていきます。
だから、ものごとの因果に敬意を払い、
けじめをしっかりすることが大事です。
それは、自身の人生にかかわった
先人たちのためでもあり、
自分自身のためでもあるのです。
自分の中に流れる歴史、
つながりを、どうぞ大事になさって
未来を切り開いていってください。