神道には一霊四魂(いちれいしこん)
と言う概念があって、
直霊(なおひ)という神と直結した
本質の霊が、荒魂(あらみたま)、
和魂(にぎみたま)、幸魂(さちみたま)、
奇魂(くしみたま)という四つの性質の
魂を統括しているという人間観があります。
荒魂は、勇敢さや行動力の質を持ち、
和魂は親愛や協調性、
幸魂は優しさや思いやり、
奇魂は探求心や分析力、知性といった
質を持っています。
これらがバランスよく機能していると
人間としてとても良い状態と言えますが、
バランスが崩れてしまうと、
怒りや悲しみ、恐れの感情に
飲み込まれてしまうのだそうです。
今日はなぜ、突然こんな話を
しているのかというと、
以前から
プライベートで違和感と不快感、
苛立ちを感じる人がいて、
表立って関係が険悪というわけでは
全くないのですが、
自分でもその理由がわからず、
不思議に思っていました。
けれど、
その人を見ていて気付いたのは、
根深い依存心があって、
本人にその自覚が多分、
ほぼないだろうということでした。
何か決めるときや行動するときに、
無意識に他者の決断や行動に
乗っかってくる感覚があって、
本人は多分、自分で決めて行動している
と思っていると思います。
一緒にいると、
その乗っかられる感覚が不快で
気持ち悪くて仕方がないのです。
その人にとっては、
誰かの決断や行動に乗っかって、
気持ちよくて楽しいところに
連れて行ってもらえるのが
楽ちんなのでしょう。
だからそこに、
何の疑問も罪悪感もありません。
自分の人生が割とうまくいっている、
とさえ思っているかもしれません。
ただ、どこかすっきりしない、
完全に望む人生にはなっていない
とは感じているでしょう。
私から見れば、本当には
自分の人生を生きていないのだから、
その感覚は当然だと思います。
けれど、その在り方のまま
その人にとってのもっと良い人生、
完全な理想を求めるのなら、
それは、自分の人生を本当に生きる
ことではなく、もっと気持ち良く
感じるところに連れて行ってもらえる
誰かや何かに乗っかること
になるだろうと感じます。
それをやっている限り、
本当に望んでいる理想には
辿り着けないでしょうが、
さて、そこに気づけるかどうか。
そんなことを思ったときに、
この一霊四魂がふと思い浮かんで、
その人に決定的に足りないのは、
荒魂の質である、と思いました。
勇気、行動力の質です。
荒ぶる魂故に、コントロールを失えば
その被害も甚大なものとなりますが、
かと言ってあまりに機能不全に陥ると、
まるで覇気のない腑抜けのようになります。
その人の四魂の他の要素を見れば、
主体性がないので協調性はあるし、
一見して思いやりはあるけれど、
厳愛はありません。
探求心はなくはないけれど、
本質を見極める力は弱く、
深まりません。
こうして見てみると、
それぞれの質を発揮するにも、
他の魂の質が健全に発揮され、
磨かれていることが不可欠であることが
見て取れます。
荒ぶる魂の質を恐れ、
邪悪視する人も少なからずあるけれど、
それはその質をマスターできていない
未熟な視点故の人間観だと思います。
優しさも厳しさも、荒ぶる質も慈愛も、
すべてをマスターして神に至る道が
真っすぐに開けてきます。
それこそが、真に神の子たる
人間の姿と思います。