何を為したか、ではなく、
どう在るかだ。
と、これまで繰り返し
偉大なマスターから言われてきたし、
様々なところでその言葉を
聞いてきました。
とかく私たちの意識は為したこと、
成果の偉大さやその多さに充実感、満足感を
覚えがちだけれども、
その刻んだ歩みの深さをじっくり感じ、
吟味することはそう多くはないのかも
しれません。
人と接するときも、
どれだけ長く一緒にいて様々なことを
したかということも、確かに積み重ねの
重さが意味を成すということもあるけれど、
ほんの短い時間だったり、少ない言葉
だったけれども、そこに込められた
思いの深さが、その後ずっと心に残って
人生に大きく影響するということも
あります。
人生の価値を思うとき、
深さという視点を持ってみると、
また別の景色も見えてくるでしょう。
時空を超えて、長く遠くにまで
届くように込められた思いは、
巷のノイズや荒波よりも深いレベルで
そのバイブレーションが響き、走り、
やがて同じ感性を持つ者によって
その真意が正しく受け取られます。
どれだけ遠く離れていようとも、
幾千年の時の隔たりがあろうとも、
純粋な思いは、そうしたものの
制約の外に存在します。
ただ、そうした領域に何事かを
刻もうと思ったら、偽りは通用しません。
適当に取り繕うとか、嘘でも丸め込もうとか、
そういうものに、深さは出しようもない
ですからね。
だからこそ、今ここの純粋な思いを
込めようと思ったら、自分にとって
何が嘘で、何が真実なのかを見極めることが
どうしても避けて通れません。
これは嘘ではない、本心だと思っていた
としても、その考えが自分のどのレベルまで
通っているのかを見る意識がなければ、
自分の真実との整合性が取れません。
確かにそれは「頭では」嘘ではなかった
のでしょう。でも、ハート、あるいは
肚ではどうだったのでしょうか。
頭でばかり納得している人は、
ハートや肚とほぼ分離しています。
自分の一部が常に置いてけぼりに
なっているので、どこか地に足が着いていない
感じがあるし、現実感が薄いでしょう。
自分が自身のどのレベルと対話しているのか、
そもそも、対話なら問うことと受け取ること
双方があるはずですが、一方通行では
ないのか、
そういう対話があってこそ、
自分にとっての真実を識別する感性が
磨かれていきます。
嘘を除き、曇りを磨いて磨いて磨いた先に
残るものは何なのか。
それをもって、この世界でのこの瞬間の
一歩一歩を刻んでいきましょう。
その歩みの波動が、宇宙に広がり、
何事か、意味を成していきます。
人生の真の価値とは、
そういうところから見るもの
と思います。