人間、この世に生れ落ちて
生きていれば、多かれ少なかれ、
様々な人間関係が生まれてきます。
親子に始まって先生と生徒、友人たち、
先輩後輩、恋人、夫婦、上司部下、
ママ友、ご近所さん、様々なコミュニティ
の中での関係性。
色々な個性の人たちが、様々な距離感、
役割、ポジションで関わり合い、
自分の中で折り合いをつけていきます。
考えてみれば、なかなか高度なことを
やっているな、とつくづく思います。
楽しい関係性であれば良いのですが、
中にはこじれてひどい苦しみを生む
関係性もあり、
それに対していかに落としどころを
見つけていくのか、多くの人が悩み、
消化しきれずに抱え込んでいます。
世間一般の常識やマナー、処世術で
どうにかなればいいのですが、
事の本質を外すと、相当にこじれて
迷子になってしまいます。
私が人間関係を見ていく中で
一番大事にしているのは、
自立です。
こじれた人間関係の根底にあるのは、
そのほとんどが不健全な依存から来る
歪な境界線の問題に由来している
ように思います。
自分が何に対してどこまで
責任を引き受けるのかが
間違っているんですね。
ここを整理すると、
大体自分がどう動けば良いのかが
明確になってきます。
これらについてはこれまでも
繰り返しお伝えしてきていますが、
強調して念を押しておきたいのは、
境界線は、頭の理解で
正しく引くことは絶対にできない
ということです。
境界線が歪むのは、
ただ認識の誤りというだけではなく、
その背後にその人自身の根深い
在り方の歪みがあります。
そこを正さない限り、
頭で分かったようになって
修正し切れるものではないのです。
たとえば、不足感や淋しさ、
無力感に苛まれている人は、
誰かの豊かさや力強さ、輝きで
それを埋めようとします。
どれだけわかっていても、
自分で引き受け、昇華させるまでは、
その衝動を止めることはできません。
だから、根本的には、
自分が自身の真の力にしっかりと
根を下ろし、健全なパワーの感覚を
感じていないと、
本当のところは
健全な人間関係は築けないだろう
と思います。
自分の人生を自分で生きる。
それが大前提なのです。
それが無いと、
親は子供を通して自分の人生を
生きようとし、苛烈なコントロールを
してしまったり、
子供は自分がこの世界に生きていて良い
という許可を、親や先生などに承認される
ことによって得ようとします。
あるいは、夫婦や恋人は相手に
自分の不足感を埋めさせようと
様々に取引し、
輝いているように見える誰かに依存し、
その人に自分の人生を牽引してもらおう
としてしまいます。
みな、「自分がお留守」です。
なぜ、自分自身を生きて、
自身の力を健全に発揮して
生きようとしないのでしょうか。
どんな関係性も、
この在り方から構築される限りは
どこか歪んでいて、
一時期良くても、やがてその歪みは
隠しようもなく表面化し、不調和となって
調整を求められるようになるでしょう。
自分ばかりが負担を強いられている、
と被害者になるのは間違いです。
一見、一方的に被害者でいるようでいて、
実はその状態で得ているメリットがあり、
あなた自身が引き受けるべき
何らかの責任が放棄されています。
表面的に見れば、
誰が悪い、誰がかわいそうだとか
あるのでしょうが、問題は
そこではありません。
もっと根深い、
自身の在り方の問題から来ています。
誰かのせいでこうなった、という
もっとずっと手前で、
自分の人生に対して当事者意識を持って
果たしていなければならなかったことを、
すっぽりと放り投げていただけなのです。
そこを修正しなければならない。
起こっている関係性の不調和は、
そこに対しての呼びかけなのです。