ここしばらくはセルフワーク
重点期間にしようと思っていて
(かといってそれほど時間を取れている
わけでもないのですが)、
主に、自分の中でエネルギー的に
閉じている感覚のところに
意識を向けています。
普段はそれがデフォルトなので
気付きもしないのですが、
改めてじっと意識を向けてみると、
その部分だけ感覚が閉じている、
重たい蓋の感覚がある等、
元々が無かったわけではなく、
何だか欠けている、鈍い感じ
がするところの奥に何があるのか、
じっと心を澄ませてみています。
私の場合、上半身と下半身の間に
断絶があるようで、子供の頃から
足が遅かったり、ヨガでも下半身の
使い方が稚拙と言われたりして、
自分でもどうも下半身の感覚が
うまくつながっていないんだよな、
というのが悩みでもありました。
これまでも色々ワークはしてきたのですが、
今回は、なるほど!そんな意識があったのか!
という気付きがあって、その部分に関しては
蓋が外れたようです。
止まっていたエネルギーがじんわり流れ、
少しつながりが戻ってきたようですが、
何重にも断絶の要因があるようで、
その奥からまた別のものが出てきました。
じ~っとじ~っとじ~っと感じ続けていくと、
自分がなぜ断絶させていたのか、
そこまで固く抑圧をかけていたのか、
その時の思いなどが突然ふっと上がってきて、
あぁそうか、となります。
そこでまた、新たに自分の在り方を
選択し直すんですね。
その繰り返しで、自分の輪郭が
変化していきます。
封印を解くには、
封印をかけた時とは逆回転のプロセスを
辿って、解放されていきます。
こちらを緩めたら、あちらにしこりが浮上して、
それをまた緩めていくと、それとあれとこれが
絡み合いながらごっそり落ちていく。
そんな感じです。
一つの決断が、自分自身のある形を作り、
その形によって別の選択が導かれ、
それが故に、必然の別の結論が導かれて行く。
そうやって人の在り様は形成されるので、
ある部分の末端だけ形が変わればいい
というわけでもないし、末端の形さえも、
小手先だけではなかなか変わらないのです。
緩めたところには、かつて自分が
きちんと受け取れなかった何かが
封じられています。
それを今度はしっかり受け取って、
消化し、自分を通過させていきます。
上手く受け取れず、未消化なものが
悪さをして機能不全を作り出していくので、
如何に受け取れているか、向き合い切れて
いるかが基本の観点になります。
どうもそこのところは苦手、という
感覚があると、無意識にもスルーしたり、
目をそらしたりしているので、
そういう態度を改めていくわけです。
だから、自分がいかに逃げていたかに
どれだけ気付けるかというのが
ポイントになってきますね。
そのときに、よく逃げていた自分を
責めてしまうとかジャッジメント
してしまって余計に認められなくなる
人があるのですが、
責める必要は全然なくて、
ただちゃんと現状を認めて、
方向転換すればよいだけです。
要は、エネルギーが通るような在り方に
なれば良いだけなので、良い子、良い人
になるのが目標ではありません。
その辺り、良い人になろうとする人が
とても多いようなので、間違えないように。
そんなこんなで深く深く、
自分を掘り下げながら、少しずつ
別の選択をする、ということを
繰り返している今日この頃でありました。