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さて。
今まで生きてきて、
様々な人に出会ってきたけれど、
人間性は、その人の立ち居振る舞いの
細かなところにも、ホログラフィックに
表れるものだと思います。
ちょっとした物の扱い方とか、
人への接し方とか、本人からしたら
無意識に行っている事柄が、
雄弁にその人の人となりを
語っているのです。
昔、何かのテレビ番組で
ある大工さんの仕事ぶりを取材した
番組を見ていたら、
その大工さんは、
自分の打った釘に1000本に1本の
間違いもない!と言えるような仕事を
しなくちゃいけない。
後で、自分の仕事を見た人が、
あいつはあんないい加減な仕事をしている
と思われるような仕事じゃダメなんだ。
というようなことを言われていて、
なるほど、職人さんというのは
そういう心意気で仕事をするものなのか、
と印象に残っていたのでした。
また、最近特に感じるのが、
さっきまで人がいた空間に、
後から自分が入ったときに、
そこにいた人の気配や物の在り様から、
その人の人間性が感じられることがあって、
色々思うことがあります。
たとえば、
商業施設など大勢の人が出入りする
トイレとか、公園のベンチ、
飲食店などのお店、
いつもその人が過ごしている
仕事場のデスク回り、キッチンなど。
その人が去った後、
物が乱雑に散らかっていたり、
ベタベタに汚されているとか、
ゴミが放置されているとか。
そういうのを見ると、その人は多分、
仕事でも、やり散らかした後始末を
他人にさせているんだろうな、とか、
こんなにも場を汚して平気でいられる
感性で仕事をしているのだろうな、とか、
思ってしまうわけです。
仕事ではちゃんとしている、
と本人から反論も来そうですが、
意識しているところでいかに
品行方正で愛想良くしていようと、
散らかしていても平気というのは
感性の問題なので、反論にはなりません。
昔の人は、よく始末をきちんとしろ、
始末のできない人間にろくな奴はいない
と言ったものですが、確かにそれは
その通りだろうと思います。
始末のできない人は、
ものごとを部分的にしか見ていないので、
あらゆるものごとの真価を知ることが
できません。
たとえば、料理をするにも、
材料をそろえるところから調理、食事、
後片付けまでの一連の流れを見るのと、
出来上がった料理をただ食べるだけ、
上げ膳据え膳だけの人では、
明らかにその料理の価値への理解も
違うでしょう。
その材料をそろえることの大変さ、
調理にどれだけの手間暇がかかっているのか、
それをする人の気持ちなどもわからなければ、
後片付けをしたときに、何を感じるかなど、
大切なことを知る感性が育ちません。
掃除の大変さを知っていて、
自分がそこを使い、後片付けまで
するのだとしたら、空間をきれいに
使おうとするでしょうし、
それをやってくれる人がいたなら、
その人の労をねぎらう言葉も
出てくるでしょう。
ものごとは、始めるのは簡単、
始末をつける方が何倍も大変なのです。
ものごとの始末をするからわかる
道理がありますよね。
ものごとの始末もできない、
道理のわからぬような人間ではいけません。
人生の中で、
自分が始めたことではないけれど、
始末をつける役目をしなければいけない
時もあります。
なんで自分が、と思う気持ちも
あるかもしれませんが、
そういう役目が回ってきたときは、
最善を尽くして丁寧に仕事をしたらいい
と思います。
それは、ものすごく良い学びの機会
になるし、とても貴重な経験です。
色々な始末を経験するたびに、
あなたの中で、何かが蓄積され、
育っていくでしょう。
ものごとの始末をきちんと
つけられる人になりましょう。