「塞翁が馬」という故事成語があります。
中国の古典にあるお話が由来で、
一見良いように見えることが
後の不幸の原因になることがあり、
また反対に、不幸に見えることが
後の幸運になることもあるので、
一面的には判断できないことを言います。
最近、プライベートで
そこそこ平和でうまくいっている
と思っていたところに、
ちょっとした事件というかヒヤリハット
が複数起こって、
いずれも大事には至っていないものの、
このタイミングで気づかせてもらえて
良かったな、ということがありました。
最初の出来事は詳細は言えないのですが、
すぐに色々と対策に乗り出して、
現在対処中です。
今回はヒヤリハットで済んだから
良かったものの、一歩間違えば、
相当に危険な目にも遭ってしまう
ことでもあったので、
肝は冷えたけれど、間違いなくこれは
起こって良かったことだと思います。
その後に起こったことは、
日頃から備えを色々していても、
いざというときに漏れはないのか、
ちゃんとそれを使いこなせるのか、
そのうえで、
どこまで自分で対処できて、どこから
人の手を借りなければいけないのか、
明確になった出来事でした。
万が一のことが起こったときに、
確かに慌ててしまうけれど、
いったん冷静になってみると、
自分で調べて対処できることも
案外あるのだな、と思いました。
そのうえで、その状況で
何かを捨てて(諦めて)即座に予定を
組み直し、予定にはなかったけれど
できることを最大限にやって
後の工程につなげていけるかなど、
予行演習ができました。
初めてのことだからよくわからない
けれど、おっかなびっくり
説明書片手にやってみることで、
未知の世界が開けてきます。
世の中には、遭遇しなければ
一生知ることもなかったであろうことが
たくさんありますね。
そのすべてを知る必要はないけれど、
ここまで自分で対処できたという事実は、
自分自身への信頼と自信になっていきます。
わからなくて途方に暮れるのは
辛いものですが、
わからない→じゃぁどうしよう?
に自分なりの答えが出せることを
楽しんでいけると良いですね。
それができずに緊張し、
固まって身動きが取れなくなる方も
ありますが、私自身もまさにそうでした。
それは劣等生だった子供のころの反応で、
できない、わからないということが
恐ろしくて辛すぎてたまらなくて、
パニック状態なんですね。
そのかつての子供のころの自分を
何度もお迎えに行って抱きしめ、
癒して来たら、
その苦しさが随分和らいで、
じゃぁどうしよう?と意識を
向けられるようになってきました。
子供のころは、そういう自分を
親をはじめとした周囲の大人たちや
クラスメートたちに随分責められ、
からかわれ、辱められてきましたから、
反射的にそういう感覚が噴き出すのですが、
それでも、その辛さも癒し、再び
立ち上がって走り出せる自分に
なれるんですね。
少し勇気を出して、
その苦しさ、混乱を受け止め、
癒し、一番辛い思いをしている
自分から離れずにいてあげてください。
多くの人は、そういう自分を
攻撃し、無きものにしようとして
責め立てたりしますね。
かつての私もそういう態度だったので、
周囲にそういう人たちばかりを
引き寄せていました。
その辛い体験も、構図に気づけたら
変えて行けます。
今は、わからなくても責められず、
助けてくれる人がそこそこいる
現実を生きています。
人間万事塞翁が馬なら、
自分で不運をきっかけにして
幸運になるようにしてしまいましょう。
不幸は不幸のまま決めつけて
固めておかなくてもいいんですよ。
私たちには、自分でその出来事の
意味を決めていける裁量があること、
忘れずにいてください。