3月11日、あの日から15年ですね。
あの日は東京でも、今まで経験したことの
無いような大きく長く続く揺れと、
続いて起こった都市機能の停止状態の
パニックに、異様な緊張感がありました。
被災地の方には比べ物になりませんが、
かの地の衝撃は日本中に広がって
いきましたね。
この日を境に、
生き方を変えたという方も
多かったと思います。
あの日生まれた子供さんは、
今度高校生になられるくらいの
月日が経ちましたが、その間、この国では
何度も大きな地震が起こりました。
まだまだ復興の歩みの遅さに
もどかしい思いをしていらっしゃる
方も多いでしょう。
あるいは、
変化して行く外側の景色の一方で、
心はあの日から時間を止めたまま、
という方もあるかもしれません。
また、
その前日は東京大空襲の日でもあり、
私の住む東京下町辺りは焼け野原
となりました。
あの日、地上からB29の操縦席にいた
米軍の操縦士を見たんだと話していた
近所のおじさんも、既に亡くなって久しい
時間が過ぎました。
そして3月20日は、
地下鉄サリン事件から30年。
この日私は大学の卒業式で、
袴を着てまさに事件のあった地下鉄千代田線の
誰もいない異様な霞が関の駅を通過していく
電車に、不思議な気持ちで乗っていました。
そのときはまだ、何が起こっていたのか、
わからなかったのです。
いつもの通学の時間に乗っていたら、
被害に遭っていたかもしれないニアミス
でした。
3月は、東京では特に、
この国の色々な歴史が思い起こされる
ことの多い月です。
ものすごく大きな衝撃の走る出来事で、
この国の方向性が大きく変わった
ところもあるし、
これだけの大きなことが起こってさえ、
良くも悪くも、変わらなかったことも
あります。
深い絶望の淵に落とされてなお、
時間はその歩みを止めません。
容赦なく、否応なく、流れていくその時は、
実は恩寵なのかもしれません。
心は時の流れを拒んでも、
私たちは本当に歩みを止めることは
できないのです。
その歩みを、いかに運ぶか。
個人主義の進んだ現代日本社会で
どれだけ個人の歩みを力説しようと、
この社会ではより大きな国としての
枠組みに翻弄されるところがあります。
個人の可能性を存分に追求しようと思ったら、
この国をいかに良い国にしていくか、
世界がいかに平和で調和していくか
という問題は、避けて通れません。
かと言って、世界平和を語って
個人の歩みがおろそかになるのは
本末転倒というものですが、
個人の歩みと大きな世界の流れを
同時に意識しながら、私は私のやり方で、
深く今ここに意義ある一歩を刻んでいこうと
思うのです。
世界が色々なレベルで地殻変動を起こしている
この時に、小手先の対処法などに右往左往
している場合ではありません。
なすべきことは直ちに行動して、
よくよく内なる導きとともに生きる
在り方を磨くように。
かつて、80年余り前に焦土と化した
この国を復興させ、平和への思いを胸に
世界に貢献してきた先人たちは、
いかに力を振り絞ったでしょうか。
今はぼんやりと過ごしていられる
人もいるけれど、実はあの時くらい
自身の可能性を最大限に発揮しないと
いけないような時代なんじゃないか、
と思います。
それぞれの場所、それぞれのやり方で、
良い世界を開いていきましょう。
そんなことを思う、3月のこの日でした。