唯一無二のこの自分
ダイヤモンドの原石を磨くことは、自分を信頼し、自分自身に誇りを持つことに繋がっていきます。その輝きを目にすることは、自分から逃げなかったこと
偽りの自分を脱ぎ捨てて、本当の「私」に帰る場所
ダイヤモンドの原石を磨くことは、自分を信頼し、自分自身に誇りを持つことに繋がっていきます。その輝きを目にすることは、自分から逃げなかったこと
奥義というのは、何やら仰々しい秘伝の箱に入った巻物のことではなく、道を究め抜いていったときに辿り着く「自明の理」なのではないかと私は思ってい
それに触れることを拒否している部分は、認識からすっぽりと抜け落ちるんですね。これが意識の死角です。全くそれが捉えられなくなるケースもあるし、
厳しい運気のときほど、こういう守護の存在が紙一重の命運を分けることがあります。日頃から、ご縁の仏様とか神様とか、或いはご先祖様たちに意識を向
人生からの問いかけは、中途半端な理解では合格点はもらえません。頭でわかった風になっても、本当に深い気づきによって在り方が根本から変わるような
自分の感情や思い、思考を見つめていくと、あ、これ自分じゃないな、という異質な感覚がふっとわかることがあるんですね。ある感情や思いに対して、気
魔は、狙ったターゲットを落とすために、その人を孤立させ、周囲に対する不信感と憎悪を煽り、もう引き返せないのだと思い込ませて絶望感で抵抗したり
「神と一体の自分」に至る道は、自分というこの存在をすっ飛ばして全く違ったところから神なるものをインストールすることでは成就しない、と私は思っ
結局、他者からされたことによる傷というのは、自分が自身にしている態度、在り方の鏡であるので、それに気づき、認め、改めることで癒えていくという
よく、ハートが傷つくという表現がありますが、その傷を恐れずさらに感じて統合していくと、ハートはその出来事の、もっと奥深い意味を教え、そこにあ