修羅の世界
被害者と加害者の間を延々と行ったり来たりしながら、常にいつ自分がやられるか、あるいはやられる前に叩き潰すか、という行動心理の張りつめた気持ち
偽りの自分を脱ぎ捨てて、本当の「私」に帰る場所
被害者と加害者の間を延々と行ったり来たりしながら、常にいつ自分がやられるか、あるいはやられる前に叩き潰すか、という行動心理の張りつめた気持ち
今まで、私が命を生きるのだと思っていたけれど、そうではなく、実は命が私を生きているのだと気づいたのです。命が、私という人生を通過し、体験して
在るがままの自分を否定することは在るがままの現実を否定し、それに抵抗することでもあります。すると、自分と現実との間に分離が生まれます。これが
ガミガミ言われると、その瞬間に確かに意識が体から離れて意識がボ~っとなってるかも。混乱した気持ちのエネルギーですね。話を聞き流すのは、傷つく
これまでを振り返ってみてふと思ったのは、「その時できることをしていればいいんだ」ということです。あれもこれもと無理を自分に強いないで、ただ息
確かに、見えないものもあるけれど、自分で隠したものなら、自分で見ようと意識を変えたら見えるはずです。せめてそうした部分だけでも自分に責任を取
発散では、感情のチャージは消化できますが、その感情が生じる「元」への対処は手つかずです。「痛みの感情が生じ続ける構造」が残ったままなので、そ
奥行のない一時の高揚感で放たれるエネルギーなんて、知れています。ノリでパ~っと派手なことをやるけれど持続しないですぐにヘタるようなもの。本当
自身の人生のあらゆる側面を受け取らねば、自分自身にも、本質なる神にも近づくことはないのでしょう。けれど、私たちは自身の人生にやって来る様々な
そのうちに、今度はその波紋の行方ではなく、波紋の中心では何が起こっているのか?というところには意識が行ってなかったなと思い、まさに「波紋が起