「自己犠牲もどき」の話
一見すると、何か崇高な理念のように思えるけれど、掘り下げて行けば、実は個人的な自己防衛手段だった、ってことは良くある話です。今日
一見すると、何か崇高な理念のように思えるけれど、掘り下げて行けば、実は個人的な自己防衛手段だった、ってことは良くある話です。今日
究極的に、自分を癒すことができるのは自分だけです。誰かが替わりにやってくれるわけではありません。自分でその状況を受け止め、対処できる力を養っ
自分の肚を深く決めて、ものごとに対峙すると自分の内から不思議なくらいに力が湧いてきます。そして、できる!という感覚が生まれ、地に足がついて、
恐れても、その源になお深く対峙して踏み込んでいくことが道を開くのですね。相手の中に、可能性を見続けるには、自分の中の真実なるもの、可能性に深
目覚めていなければならない、ということの大前提にあるのは、全ての存在が自身の命の源に繋がれている訳ではない、という事実です。本質的には善なの
何かしらの願いを持ちつつもそれが叶わないとき、叶わない苦しみを抱きながら生きるのは辛すぎるので、人は諦めてその願いに蓋をするのです。そうする
純粋に自分自身で在る以上に美しく、力強く、凛々しく、輝く生き方はないのです。何者かの代理を生きるより、何かの力を取り込むより、ただひたすら、
自分の思いや気持ちなんて、たいしたことないんだ、っていう扱いをしていると、鏡の法則を通して他者から自分が自身にしているような扱いを受ける状況
恨めた方が、楽なのです。けれど、実はそれをするほどに自分は無力になっていくということがあります。あいつのせいで!と思うほどに、自分を幸せにす
その人の存在の中心をとれるのは、本人だけです。いくら侵入者がその人のふりをしようとも、侵入者には絶対にできないんですね。だから中心に触れよう