無価値感、無力感、孤独を抱きしめる

最近、「無価値感」というテーマが浮上してきています。私自身のブログを振り返ってみても、またセッションに見える方の中でも、このテーマを持っている方が殊に多いなという印象があって、これは私自身へのサインだと感じています。今日はこの辺りを少し掘り下げてみたいと思います。

自身の内に無価値感があることに気づかないまま、それに突き動かされて行動している人は多いものです。

たとえば、容姿も端麗でいつもおシャレにしていて、仕事も一目置かれるくらいによくできるというような、いわゆる「意識高い系」の方の中に、深い無力感や無価値感が根深く巣食っているということもあります。

こうしたものをもっていると、常に自分の価値を証明し続けないと、途端にあの恐ろしい無価値感の闇が襲ってくるので、いつも人並み以上に頑張ってしまい、そうすることを止められないのです。

つまり、「できる自分、価値ある自分」であるというお墨付きを周囲からもらえない状況というのは、その人にとっては耐え難いことなのですね。

けれど、どれだけ称賛を浴び評価を得ても、根本的にその人の中の無力感や無価値感は、それ自体に対処しなければなくなることはありません。だから一時満たされても、またすぐに次の評価を得ようと駆り立てられていくのです。

無力感や無価値感だけではなく、孤独感や愛など、あらゆる感情や感覚について言えることですが、自身の内に足りないと感じているものを、外側の何かや誰かで埋めようとしている限り、その飢餓感が癒えることはありません。

けれど、私たちの多くがこうした場合に真っ先にやることは、誰かや何かに自分の心の隙間を埋めてもらうことなのです。

分かりやすい例を挙げると、子供の頃に両親から得られなかった愛情を大人になってパートナーに求めるとか、常に自慢話をして賞賛を要求する、ブランド物を身に着けていないと落ち着かない、などもそうですね。

特に人間関係においては、同じバイブレーションを持ったもの同士が引き合いますので、相手に自分の心の隙間を埋めてもらおうとすると、同じように相手もあなたによって自分の心の隙間を埋めてもらおうとするパターンになることが多いです。

こういうケースでよくあるケンカが、「俺はお前にこんなにしてやっているのにお前は俺に何もしてくれない!」「私があなたにどれだけしてあげてると思っているの!?私はいつも我慢させられてばかり!」というものですね。

外側のもので自分の心の隙間を埋めようとする人は、根本的にそれを癒しているわけではないので、周囲がどれだけ与え、尽くしても、決して満たされることはありません。さらにもっともっとと要求がエスカレートするばかりで、最終的にはその要求に疲れはてて周囲が離れていき、その人はさらに深い孤独を体験することになる、というループになります。

そうなるのが嫌ならば、その無力感、無価値感、孤独を自分で抱きしめていくしかありません。自分でも受け止めるのが嫌なものを、他者に押し付けてはならないのです。

無力感、無価値感、孤独というのは身体で感じるとどういう感じがするものなのか、概念で捉えると死んでしまうかもしれないほどの恐怖を感じるかもしれませんが、身体で捉えると明らかにそれは間違いであることが分かります。

落ち着いて、ゆっくりと深い呼吸で命のエネルギーを取り入れながら感じて行けば、ちゃんと受け止められるものです。

私たちがかつてそうした辛い感情を味わったとき、あまりにも耐え難かったので私たちはそれらを切り離しておいてきてしまっています。置いて行かれた方は、「見捨てられた。独りぼっちだ。誰も助けてくれない」と深い絶望の内に今この瞬間にもあなたの身体のどこかで時間を止めて、凍り付いているのです。

「感情を抱きしめる」と私が表現しているのは、このようにして自身が見捨ててきた気持ちのカケラのところに戻って、「私は自分を見捨てていないよ。必ず助けるからね。側にいるよ」と声をかけ、実際にそれに触れていくことなのです。

そのことが、どうやっても埋めることのできなかった孤独や無力感、無価値感を癒し、満たしていくでしょう。

つまり、私たちがそれらを癒すには、最も避けて通りたかった方向へと進み、最も触れたくなかったものに触れることが必要なのです。

このプロセスにおいて、私たちの心理的な構造は大きく変容します。最もやりそうもなかったことができるようになっているということ一つとってみても、それがどれだけ大きな変化かお分かりいただけるでしょうか。

これこそが、魂の錬金術なのですね。

サロンに見える方の中でも、しばしば自分を見捨てている人、諦めている方がいらっしゃいます。抱きしめるべき自分自身とケンカしてしまっている状態です。この状態では、癒しは難しいでしょう。

私たちは子供の頃、「どんな私でも在りのままの私を愛して欲しい」と両親に願ったことは無かったでしょうか。あなたのご両親は、無条件にあなたを愛したでしょうか。それとも、良い子、自慢の子でいるときだけ、あなたを愛したでしょうか。

自分にとって都合の悪い感情を見捨てるのは、「良い子」だけを受け入れる親と同じようなものです。そんなことをされたら、あなたはどれだけ悲しいでしょうか。

自分が自身に対して何をしているのか、よくよく振り返ってみることです。

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