今日は桃の節句・ひな祭りですね。サロンに飾った桃も、ようやくつぼみが開いてきました。結構濃いピンク色なので、主張してますね。(^^)
さて。スポーツや音楽、アートやダンス、物書き、様々な職人など、ありとあらゆる分野において、どんな道を歩もうとも、本当にその道を究めたいと思ったら、自分自身に向き合うことは必須であり、またその道を通して人生の神秘や宇宙の真理に至ることができるのだろうと思っています。
私にとってはそれがたまたまヒーリングという道でしたが、自分なりに探求してきたことをベースに様々な道を歩む友人知人たちと話をすると、分野は違うものの、本質的なところでとても良く理解できると感じることがしばしばあります。
「一芸は百芸に通ず」のことわざ通り、みなどこかで同じ感覚を使って表現をしているのだな、と分かってとても共感できるのですね。
どの道を歩もうとも、本気でその道を行くなら、その人その人に必ず差し出される課題というものがあります。
たとえば、セールスをやっている人が、人とのコミュニケーションがとても苦手で苦労しているとします。また別の人はものつくりの職人で、対外的にはセールスの人よりは直接お客さんとコミュニケーションをするような場面はないかもしれません。
前者の人はより直接的に、コミュニケ―ションという課題を提示されていますが、実は後者の人にも、同じ課題がないわけではありません。
なぜなら、ものつくりは顧客の需要があってこそ成り立つ仕事ですから、自分の顧客がどんなニーズを持っているのかをつぶさに知らなければ、価値ある仕事はできないわけです。そこに顧客に向き合うという課題が避けがたく存在しています。また、素材との対話という部分もあるでしょう。
そして両者ともに、顧客に向き合うためは、自分に向き合う課題が必ずセットでついてきます。顧客や素材という「鏡」を通して、みな自分を知るための対話をしているのですね。
だからどんなものでも、交流すればそこにその人の在り方が反映されます。それが心地よいのかそうでないのか。私たちは意識、無意識的にそれらを感じ取って様々な選択をしています。
料理一つとっても、なぜか足が向いてしまうお店もあれば、そこそこきれいに作ってあるようだけれど、二度と行かないお店などあるでしょう。その差はどこにあるのかと言えば、表面的な綺麗さよりも、実はそこに表現された人のエネルギーの方が断然大きいのではないかと私は思います。
パワーストーンを使った作品作りの教室を開いているある友人が、石を仕入れるときにはお店の人がどんな思いで石を扱っているのかというのも重視するということを言っていました。また別の友人は、自宅に飾る花を買うのに、同じ種類の花でもお店によって飾った時のパワーが違うと言っていました。
私たちが何気なく触れるもの、扱うものに、確かに私たちの在り方のパワーが反映されるのですね。
表面的なレベルに近いところであるほど、色々なもので誤魔化しは効きますが、深いレベルに行くほど、避けていたもの、苦手とする部分を避け続けているわけにはいかなくなってきます。どこでどう進んだとしても、やらないで済ませられるというものではないのですね。
ただし、その道その道で順番はありますし、取り組みの方法がその人に合った、よりやりやすい方法というものはあるでしょう。ある人にとってはA→B→C→Dと行くのが最も無理のない道筋だとして、また別の人にとってはA→C→D→Bの方が楽に進めるかもしれません。
どれがいいとか悪いとかでもありませんから、ご自身の唯一無二のオリジナルの道を楽しんで行かれたらいいと思います。
私自身、去年から人生で最も遠いと思っていた課題に取り組みはじめ、今もそれを継続中です。そしてさらにここにきて、二番目くらいに人生で遠いと思っていた課題にようやく手を付けはじめました。
どちらもなかなかに手ごわいですが、これらに手を付ける前に、色々と取り組んできた中で得た知識やテクニックがあるので、それらが無かった状態で向き合うよりも数段楽に感じていると思います。
逆に言えば、それらがあってはじめて、その扉の前に立ち、開くことができるようになったのだと言えます。
日々心の奥底で、巨大で重たい鉄の扉がズズッ、ズズッと少しずつ開いているのを感じます。いっぺんに開かずに少しずつ進めるというのもワークのテクニックで、こうすると巨大なエネルギーも無理なく受け止められ、変容のプロセスを安全に進めることができるからです。
変容のプロセスの中でバランスを取る技術というのも、実はとても大切な技術です。雑に進めることもできなくはないでしょうが、瞬間瞬間を丁寧に進めていく方が、確かに見た目は地味ですがはるかに技術が要るのですよね。
そしてそのように通過したプロセスは、雑にざっと進んでしまった変容よりも、その質が格段に深くなります。まぁこれは、あるレベルにおいて、とことわりが必要かもしれませんが。
変容を「今ここ」にいて受けとめていられる自分を、日々鍛錬していきたいと思います。