石を投げる者と投げられる者

私たちは多かれ少なかれ、自分の中のある要素を
「こんな自分じゃだめだ!」と許していなかったり、
責めていたりすることがあるんじゃないかと
思います。

私自身もまだまだ「こんなんじゃダメだな~」
と思ってしまうことがあるのですが、

案外自分で気にしてダメだと思っていることでも、
端から見るとどうでもいいことだったり、
逆にそれがチャームポイントになっていたり
することってありますよね。

そんなに自分を責めなくても、そのまんまの
あなたで十分なのに!って。(^^)

そこまで気に病むほど、一体何が問題なのか?
と不思議ですが、当の本人にとっては
それが重大な問題だったりするわけです。

たとえば、ぽっちゃり体系であることを
本人がものすごく気にして、こんな体型だから
私は恋人ができないとか人から煙たがられる
とか思っていたり、

実は変わった趣味嗜好を持っていることを
ことさら恥ずかしく思ったり。

まぁ、いろいろあるかとは思いますが、
ものすごく自他を傷つけることとか、
人に強要するとかでなければ、個人的には
何ら問題はないのでは?と思うのです。

自分でその要素を「いけないものだ」と
思うとき、周囲の人もそれをあなたが見るように
「いけないものだ」と見るでしょう。

そう、「鏡の法則」ですね。

たとえば、私のヒーリングという仕事も、
世の中の一部の方にはなかなか理解されない
ものがいまだにあるようですが、

私は以前の活字に携わる仕事をあきらめて、
これを仕事にしようと思ったとき、

以前の仕事もとても誇りをもってやって
いましたから、それに負けないくらい、
胸を張れる仕事にしようと思って
やってきました。

そのため、出会う方は最初は珍しく
思う方もあるようですが、否定的な目で見る方は
今までほとんどいませんでした。

けれど、私自身がもしヒーリングなんて怪しい!
という思いをどこかで持っていたとしたら、
その思いを表すような方にたくさん出会っただろう
と思います。

そう思うと、今の在るがままの自分を
どれだけ受け入れ、許し、愛しているかが、
周囲の人が自分を受け入れてくれる度合いに
直結してくるわけです。

自分が自身を受け入れていなければ、
あなたはそれが表れてしまうのをひどく抑圧し、
隠そうとするでしょう。

そうして抑圧することに、どれだけのエネルギーを
消費し続けることになるのか。
また、どれだけ自分を偽ることになるのか。

それだけではなく、自身のその要素を
責め、罰し続けることすらあるでしょう。

どんなにそうし続けても、
それは永遠に終わることのない責め苦です。

それをどうやって終わらせたら良いでしょうか。

私が師と仰ぐレナードは、自分が抑圧した要素を
認め、受容し、告白することが大切だと言います。

たとえば、「私は誰かを憎んでいる、怒っている、
実はとても意地悪だ」など、言葉に出してみる
のです。

自分が人を憎んでいるのは良くないとか、
怒っちゃいけないとか、意地悪はだめだとか、

頭ではそんな理屈をこねてそれらを裁きますが、
怒りや憎しみや意地悪場な気持ちが
自分の中に生じているのは事実です。

それを否定するところから、嘘偽りの取り繕った
世界の住人になっていきます。

けれど、私は確かに人を憎んでいるし怒っている、
意地悪な気持ちもあるということを認めたとき、

それらの気持ちを抱く苦しさがふっと緩むのです。

これは感情解放セッションやワークショップでも
よく使うテクニックですが、それまで否定していた
事実を受け入れることで、ある種の癒しが
起こるのですね。

誰かに自分のある要素を否定されるのは
辛いことです。

けれど、在るがままに認めてもらえたら、
とてもホッとします。

にもかかわらず、私たちはしばしば、
人からされると辛いことを、自分に対しては
平気でやっていたりします。

人からしてほしいことを、
自分にもしてあげましょう。

自身のあらゆる側面を、在るがままに認め、
受容し、告白します。

すると、嘘偽りの世界の住人だった私たちは、
真実の世界の住人になります。

もう自分を偽らなくていい、という安心感が、
絶えず緊張していた心をリラックスさせます。

これは、癒しと統合への道のりの最初の
ステップでもあります。

趣味嗜好のテーマから、過去の行いに対する
深い罪悪感や自責の念なども、同じ道のりを
通って解放に至ります。

誰だって、無数の人生を生きてきた魂の歩みの
中で、すべての歩みが無条件に人に誇れる
ようなものばかりであったことはないでしょう。

聖書の逸話の中で、イエスが
「罪のないものがこの女に石を投げなさい」
と言った言葉が思い起こされます。

石を投げる側も、投げられる側も、ともに
全く同じものを持っているから引き合います。

その要素に気づくには、石を投げる者を
しかと見て受け入れるのと同時に、
石を投げられる者をしかと見ることです。

本当に見ることができたとき、
自分と相手の中にあるものが全く同じ
であるという気づきに至ります。

そのとき、責める者も責められる者も
存在しない世界に自身の現実がシフトします。

これが、永遠の地獄からの解放です。

あなたがあれほど気に病んでいたそのテーマは、
その瞬間から消えてしまうでしょう。

極と極が統合されるからです。

自分自身を責めるのをやめて、
認め、受容し、告白しましょう。

それが癒しの第一歩です。

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