「識別する目」と「永遠のグル」

今日は無料遠隔ヒーリングの実施日ですが、
何と!今日がお誕生日なのでヒーリングで
お祝いします!とメッセージを下さった方が
2人もいらっしゃいました!

お誕生日おめでとうございます!

ご自身の内側から溢れる愛につながる
一年となりますように。(^^)

メールをくださったお二人は私よりも
お若い方たちだと思うのですが、
お二人の年齢の頃に私は何をしてたかな~
と思いました。

多分まだヒーリングの世界に入る前
くらいのころかなと思うのですが、

あの頃は日々仕事の忙しさに忙殺されつつ
周囲の人の理不尽な態度に怒り狂いながら
毒を吐いていたかな、と。笑

あれから、ヒーリングの世界に飛び込んで
レナードに出会ってプレゼンスを知り、
必死で自分の感情と向き合ってきて
今があります。

自分の感情に向き合い始めたころは
本当にドロドロな闇が毎日噴き出して、

私はいったいこんなことをやって
どこへ行こうとしているんだろう?
と不安と焦りで一杯でした。

スピリチュアルやっている人は
キラキラハッピーで軽やかに人生を謳歌
している人の方が優れているんだという
思い込みが自分にもあったので、

深い闇を亡者のようにさまよっている自分に
価値を見出すことができなかったのです。

それでも恩寵の導きによって
歩み続けたおかげで、今、キラキラばかり
ではない部分にもそれなりに対応できる
力が鍛えられたので、

あの無明の闇をさまよった日々も
まさしく恩寵だったな、と感謝しています。

あれがなかったら、表面ばかりが徒長した
ひ弱なきれいごとしか見られない人間に
なっていたと思います。

今でさえ、お前の言うことは
どれだけ内実が伴っているのか?
と日々問われる中で

できることも確かにあるし、
まだまだこれから鍛えていく領域も
たくさんあるな~と見せられています。

謙遜という名のもとに自分を卑下する
のでもなく、慢心に溺れるのでもなく、

ニュートラルなポジションから
どれだけ自分の弱さと強さを見て取れるか。

もしその視野が曇ったり偏ったりした場合、
忌憚のない指摘をしてくれる友人たちが
いるかどうか。

私にとってはそういうつながりが、
道を歩むうえで本当に大切な財産だと
思っています。

人生の苦しい時って、誰にでもありますよね。

そんなときに、本質を見てそこから付き合って
くれる人がいると、

苦しくても何とかもちこたえて、
経験を昇華させていくことができます。

そういう存在は
生きている人に限りません。

私の場合は、変わらず通ってきてくれた
クライアントさんや友人たちもそうですが、
本にある覚者の言葉からも随分
恩寵を受けました。

人は、その人の魂の成長具合によって、
その時々にそういう存在が現れるのでしょう。

そのとき、その存在を受け入れるかどうか、
という選択も、実はしているんですよね。

たとえば仏陀やキリストが
多くの人が行きかう街を普通に歩いていた
とします。

そのすぐそばを人生の苦しみを抱え
苦悩しているあなたがすれ違ったとしても、
何も起こらないかもしれません。

多分、起こらない確率の方が高い。

たとえあなたが道で転んでいるのを
仏陀やキリストが「大丈夫ですか?」と
助け起こしたとしても、

「いえ、大丈夫です」
「そうですか。それでは失礼」
で終わってしまうこともあり得ます。

ただ者ではない存在をそれと見抜く目と、
それを求め、受け止める準備のできた
人だけが、千載一遇のチャンスを
つかむことができます。

何年か前に東京で開催されたレナードの
セミナーの後、駅の近くでたまたま
彼が一人で歩いているのを
見かけたことがありました。

あれほど深いプレゼンスを体現する存在が
ごく普通の人たちのすぐそばを
普通に歩いている!

そしてすれ違う多くの人は、
彼が何者かも知らずに通り過ぎていく
ということを、深い感慨とともに
見ていたことがありました。

すごい存在も、大々的な広告とともに、
巨大なステージに派手な演出で
ジャーン!!と登場したら、
多くの人は熱狂するのかもしれません。

でもそれは、派手な演出と広告を
すごいと認識したのか、

本当に自分自身でその存在のすごさに
打ちのめされたから熱狂するのか。

自分が何に反応しているのか、
よくよく「識別する目」をもたなければ
と思うのです。

中学生くらいのころ、
私は早く自分を導いてくれるグルに
出会いたいと思っていました。

グルは、自分に準備のできたときに
やってくるとよく言われますが、

出会いたいと願ってから準備ができるまで
私の場合は20年以上の月日が必要だった
わけです。

神やグルは、自分にとって都合のいい
心地よい言葉ばかりを与えてくれるわけでは
ありません。

むしろ、心をえぐるような言葉を
投げかけたり、憎しみを掻き立てるような
ことさえします。

その人の奥深くに沈めた滓や
きれいごとで塗り固めた化粧をはぎ取って、
浄化・統合に導くためですね。

その真実にのみコミットするグルの導きを、
信頼し、甘受することができるのかどうか。

みなさんが今体験している苦しみも、
神から与えられた試練であり導きだと
言えます。

それを、頭でそう思って納得するだけではなく
その体験からどれだけ学びと導きを自分の
全存在で実感するか。

特定の存在がグルなのではなく、
あらゆる人、出来事のすべてをグルとできたとき

私たちはすでに、永遠のグルに出会っている
のかもしれません。

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