諸刃の剣を使う覚悟

最近、と言うかしばらく前からなのですが、
セッションをするときに、クライアントさんに
かなりギリギリのところまで在り方を迫る
という場面が多くなってきています。

もちろん、それができる状態の人かどうかの
見極めも大切にしていますけれどね。

その方の心の奥をじ~っと見つめながら、
本音とか建て前とかを突き抜けて、
その方の魂は何を求めてサロンにみえたのか、

何を伝え、どう働きかけるべきなのか、
瞬間瞬間、私自身の意識に映るものを
じ~っと見つめながら、応答しています。

以前は、ここまで強く働きかけるということは
しなかったですね。

ある程度までお伝えすることはお伝えして、
後はあなたの選択ですよ、という感じで
やんわり委ねていました。

そこに至るまでにも、
ここまで言わなくても良いだろう、
と思って言わずにもっと手前で
真綿にくるんだような言い回しで
お伝えしていた時期もかなり長くありました。

でも、あとでそれは自分の逃げだったな、
と気づいたんですね。

その方にとって、受け取るのがキツイ言葉でも
言わなければいけない時があります。

けれど、それをお伝えするのって、
伝える側にもかなり勇気が要るんです。

そんなことを言ってその方が傷ついて
関係が悪くなってしまったらどうしようとか、

頑張って伝えたのに、
悪く取られてしまったら嫌だなとか。

結局、全部自分の保身なんですよね。
その方のためじゃないんです。

そんな風に、私がヒーラーとしての自分の責任から
逃げている内に、クライアントさんが方向転換する
タイミングを失ってしまったかのように見えた
ケースもあって、

これはもう、私自身の在り方が問われているのだ、
と気づかざるを得ませんでした。

お前はどこまでの覚悟を持って、
相手に向き合っているのか?
その程度のヒーラーなのか?

ヒーラーである前に、
一人の人間の在り方としてどうなのか?

それに気づいてから、
かなり言いにくいことも、相手がどうとるにせよ、
私自身の本分は果たそうと覚悟を決めて
お伝えするようになりました。

けれど、そうして肚を据えてみると、
自身の放った言葉のエネルギーが
また自分に返ってくるんですね。

覚悟を持ってお伝えした言葉は、
相手の方にも深く影響を及ぼします。

そうして、その方が方向転換しようと
もがき始めたら、その先のサポートまで
繋がっていきます。

そこでさらに深い覚悟を試されるのです。

その方の中で、自身の命を本気で生きようとする
願いの炎が燃え続けている限り、
私は妥協せずに自身の本分を尽くそう
と決めています。

だから、ときにかなり厳しく在り方を問う
場面もあります。

でもそのとき私は、
その方の表層でぐずぐずしている
その部分を見ているのではなく、
その奥の願いの炎を見ています。

それを見ながら、
あなたはそれでいいのか?
本当はどうしたかったのか?
今の在り方は、その願いにつながる在り方なのか?
違うのなら、今何をすべきなのか?
自分で決めるように、と私は発破をかけます。

決して、私の価値観でこうすべきだ
という道に誘導しているわけじゃありません。

その方の表層の在り方と、真相の在り方が
矛盾しているところに問いかけているわけです。

そのやり取りは、本当に真剣勝負です。
私は、自身の本分においては一切妥協はしません。

あとは、その方が自分で決めるわけです。

だから、自分で決めたくない人、
これまで流されて生きてきた人は、
そういう風に問われてそれに応えていくのは
最初は特に勇気のいることだと思います。

もちろん、その重圧に潰されないように、
様々な働きかけやサポートはしますよ。

ヒーリングですからね。笑

でも、そのように自身で決断できる自分になる、
とどこかで在り方を決めなければ、
今のその苦しみはずっと続くわけです。

キツイんだけれど、ここをすっ飛ばすわけには
いかないのです。

ここをこらえてこえなければ、
変容はない。

だから、私もクライアントさんも、
ものすごく集中して真剣勝負で挑むのです。

もちろん、スムーズにいく方もあれば、
ツルツル逃げてしまったり眠ってしまったり
ということもありますけれどね、

それでも時間一杯、何度も何度も
自身の最善を尽くしてチャレンジします。

自分自身の本当の力に帰れ!
あなたにはそれがあるだろう。
しっかりとそれに触れるんだ!

私は何度も呼びかけます。

これは良いとか悪いとか、
善悪の基準をセッションに持ち込んではいけない、
と以前は思っていました。

でも、今ははっきりとダメなものはダメ、
と言います。

もちろん、
その方が心のあらゆる側面を開いていけるような
ジャッジのないフィールドは大切にしています。

けれど、自身の本当の力以外に依存するような
在り方をしている場合は、それは違うだろう!
目を覚ませ!と躊躇なく喝を入れます。

何がそうさせているのか、誤った思い込みや
過去の宣言といったものにまで遡って
心の隙となったものを統合していきます。

だから、中立というポジションからは
かなり踏み込んでいますよね。

こういうやり方をするのは諸刃の剣だと
自分でもわかっていますが、
でもそれが必要な方もいます。

だから私は自分の在り方を明確に表明します。
これはやりません。
ここでは、こういうことをやります。

それに同意され、必要だと思ったら
ぜひ使ってください。

そんな感じですね。

ここに来て、ようやくお不動様がなぜ
羂索(けんさく)を手に握っておられるのか、
あんなに恐いお顔をされているのか
わかった気がします。

願わくば、私がその劒を正しく使うよう、
常に常に導き給わんことを。

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