「やらない」のか、「できない」のか

「頭でわかっている」のと、
「できる」のとは全く別のこと、
とはよく言います。

そうすればいいんだよね~ってわかってはいる。
でもそのわかっているはずのことが
なぜできないのか。

わかっている、というその本人は、
わかってはいないでしょう。

いや、今までは忙しかったけれど
これから少し時間ができればきっとできるよ!とか

ちょっと集中力がなかったから、
集中できればちゃんとできるんだから、とか

その人は色々言い訳をするかもしれません。

でも、本人が言うその条件が整ったとしても、
多分できないでしょう。

時間ができたらきっと他のことをして
結局「できる!」と言い張っていたことには
取りかからないでしょうし、

集中できれば、というその集中自体が
できなかったり。

やればできるんだから、という人は、
自分が「できない状態にある」ということを
認めていないし、その理由がわかっていないのです。

「やらない」んじゃなくて、
「できない」んですね。

そこを認めないと、話は進みません。

別に「ダメな奴」の烙印を押したいのではなくて、
そこが認められないと、できなくさせている
要因自体が「無い」ことになってしまうので、
対処できなくなってしまうからです。

でも、プライドからなのか「ダメな奴」
になり下がるのは嫌だ!という思いからか、
結構認めることに抵抗する人って多いですね。

そうして、認めないままに、ますます
できない(本人の自覚ではやらないだけ)の状態から
動けなくなっていくきます。

「ダメな自分」になりたくないという意識が強い人は、
自分の中に「ダメな要素」を見つけたら、即座に
それを修正し、それがない自分になろうとします。

あるいは、その要素自体がなかったことにして、
完璧な自分であろうとします。

修正しようとするのは良いのですが、
ただ、その「ダメな要素」を否定・拒絶して
「深く受け止める」というプロセスをしばしば
すっ飛ばして抹殺しようとします。

ここが結構ネックで、
それだと、本当に何がどうダメなのか、
という部分がほとんど見えていない状態で
自身の在り方を修正しようとしていることになります。

故に、その修正プラン自体が現状に添った
適切なものではなく、
ちぐはぐでかみ合わないものになり、
うまくいかないのです。

「ダメな要素」を見つめるのはとても
精神的にもキツイことでしょう。

でも、それができないから、
いつまでも修正できないのです。

今週の無料遠隔ヒーリングのテーマにも
関わってきますが、そこなんですよね。

実は、深く受け止めてその「ダメな要素」に
対峙している時、エネルギー的に
ものすごく大きな変容と気づきが起こるのです。

だからこそ、ここをすっ飛ばして
どうにかしようとしても、
何ら意味がない、と私は言うわけです。

深く受け止めないで、次に行こうとすることは、
この気づきと変容のないままの自分、
これまでと何ら変わらない自分のままで、
次!次!と先を行くことばかりを焦っている
状態です。

そもそも、そんなにまでして早くたどり着きたい
「次」と言うのは何なのか、これではそれすらも
わかっていないことになります。

それは、本当は形ではないはずです。

自分自身のある状態のステージ
ではないでしょうか?

もしそうだとするならば、
そんなにも先を急ぐこの自分は、
そのステージにふさわしいのでしょうか?

よく考えてみることです。

現状の自分にすらまともに対峙できない
この自分のままで、あなたがそう在るべきと
考える自分になれるのでしょうか?

この自分はダメだから変えればいい、
というものではないのです。

この自分が一体何をしているのか、
そこに本当に気づけば、

変えようとしなくても
一瞬で変容は起こります。

「変える」のではなくて、
自ずと「変わってしまう」のです。

だから、変容は「起こすもの」ではなくて、
「起こるもの」です。

ここがわからないと、
いつまでも変えようと不毛な努力に
エネルギーを注ぎ続けることを
やめようとしないでしょう。

わかっているんだ、と思っているそれが
本当はまるでわかっていないということを
受け入れたとしたら。

やらないだけ、なんじゃなくて、
本当はできないじょうたいなのだということを
事実として受け入れたとしたら。

多分、それなりのショックや何がしらの
精神的な混乱などはあるでしょう。

そこから逃げているんです。
あなたが逃げているものの核心が、
そこにあります。

それを感じたくないから、
変にプライドを高くして自分を守っている
のかもしれません。

その守りの壁を、打ち破ることです。
弱くて心もとなく怯える自分を
在るがままに認め、触れられるかどうか。

その自分に、今の自分がどこまで近づける
力があるのか、そこを見極めるんですね。

それが今のあなたの実力なのです。

こでができると、ブカブカとしたプライドで
かさ上げされた自分ではなくて、
本当の自分に地に足がつくようになります。

ここができないということは、
逆を言えば、自分の立っているところが
空虚な下駄の上であることに気づくことが恐い
ということなのでしょう。

さて、あなたはいつ、その空虚な下駄から
降りるでしょうか?

掛け値なしの地べたの上に立つのも、
心地良いものですよ。

関連記事

お知らせ

●満月のオンライン瞑想会
2024年
5月23日(木)19:00~22:00
6月22日(土)17:00~20:00
7月21日(日)17:00~20:00
・・・
●もしこちらの新サイトのブログが更新されてなかったら、 以下のミラーサイトをご確認ください。
・・・
アメブロ
https://ameblo.jp/25258pkou/entry-12734758809.html
・・・
gooブログ
https://blog.goo.ne.jp/25258pkou

最近の記事

  1. 自分の人生を導く恩寵に対峙する

  2. 受け取ることと伝えること

  3. 無力な自分という夢から覚める

  4. 裏腹な本心に根気よく寄り添う

  5. 第704弾 無料遠隔ヒーリング

カレンダー

2019年9月
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30  
TOP