自分に出会うことの喜びと深まり

自分を見つめていく作業と言うのは、
深まるほどに、根本的な転換と言えるような
レベルのものを何度も通過していきます。

最初の内に取り組むのは
未完了の感情の膨大なチャージで、

蓋をしたり責任転嫁をしたりして
苦しみながらもどうにか
やり過ごしていたものを
受け止めていく作業です。

これは、最初の時ほど慣れないので苦しいし、
今まで自分が否定していたものが
出てきて、一体いつまでこれが続くんだろ
と、出口の見えないトンネルを行くような
気持ちにしばしばなります。

そういったものがある程度一段落すると、
自分でも感情の受け止め方が分かって
多少自信もついてくるし、チャージの
ボリュームも最初の頃よりは少なくなるので
落ち着いてきます。

でも、それで終わりではなくて、当初の
わかりやすい激しい感情は減る替わりに
今度は、より微妙で見つけにくい感情を
マスターしていくプロセスに進んでいきます。

自分では、もう大分やったんだから
大丈夫なんだ、と思っていますが、
気が付くといつの間にか飲み込まれて
足元をすくわれている、みたいな状態になるのは
このころが多いでしょうか。

そういう段階もクリアしていくと、
今度はさらに自分の世界観の根幹をなしている
(とそれまで自分でも気が付いてさえいなかった)
「大前提」を揺るがすような、大きな気づきが
起こって、

いかにその「大前提」によって
自分が自身の責任を果たしておらず、
責任転嫁して逃げていたか、ということを知って
自身の世界を再構築していくような、そんな
プロセスが何度も起こったりします。

たとえば、
自分がいま不幸で貧乏なのは、
親のせいだとずっと憎んでいたけれど、
実はそうじゃなかった、とか、

世界はずっと無実の私を攻撃してきて、
私には居場所はなく、誰も私なんか
愛してはくれないと思い込んでいたけれど、

実は世界が私を攻撃していたのではなく、
自分が世界を呪っていたのであり、
周囲を憎んで愛さなかったのは
他でもない、自分だったと気づくとか。

それまで、憎しみや怒りを支えに
自分を奮い立たせ、人生の推進力にしてきた人が
その憎しみや怒りの理由を失うのは、
とても大きな転換のきっかけになるでしょう。

それまでの自分の世界が壊れないように、
愛に転換していくことを拒んで、頑なに
憎しみや怒りの世界にしがみつく人もいます。

そういう人は、愛や喜びの理想論を語りつつも、
常に何か怒りを掻き立てられるもの、
憎む対象を探し続けています。

そうしないと、奮い立てないし、
前に進めなくなるからですね。

そういう大きな気づきを受け入れ、
転換のプロセスを通過していくには、
ある程度、自身の真実を見つめていく
精神の力や安定した持続力、継続力が
不可欠です。

未完了の感情の莫大なチャージを抱えていては、
そこまで見ていく手前で足を取られて
オロオロしてしまうでしょう。

だから、こういう大きな転換は、
地道に自分を見つめる作業を詰んできて
始めて迎えることができる段階
でもあるのです。

だから、まだこんなにあるんだ、
とがっかりする必要はないし、
ここまで来た自分を誇るべきだ
と私は思います。

私たちは、しばしば誤った思い込みで
自分や他者を貶め、不幸にすることがあります。

起こった出来事に対して、
私たちの心は何かしらの意味を見て取り、
感情的な反応が起こって
怒ったり喜んだり悲しんだり憎んだりします。

その意味の読み方に、
私たちは知らず知らずのうちに癖をつけていて、
見えたストーリーに多かれ少なかれ、
偏向が起こります。

この偏向した見え方が、
しばしば不幸の原因になっているのです。

もちろん、お釈迦様のような目覚めた意識の人
以外は、偏向のない人はいません。

だから私たちは、自分に深く向き合うほどに、
そうした自身の偏向に気づくのです。

それは、あまりにも自分の人生においては
説明の必要のない位の「大前提」なので、
非常に注意深く見なければ、
決して気付くことはありません。

自分が不幸なのは自分にひどいことをした
親のせいで、いつも疲れてイライラしているのは
ちっとも言うことを聞いてくれない旦那や子供
のせいなのです。

そんな思いで何年も、何十年も生きてきて、
すっかり染み込んでしまった当然の「大前提」が
自作自演の茶番劇だったと気づくには、
どれだけの注意深さと謙虚さが
必要でしょうか。

気づいて転換できた自分は、
できなかった自分からどれだけ成長し、
違っているでしょうか。

自分自身との出会いは、終わりがありません。

深まるごとに、喜びがあり愛があり、
感謝があります。

全部解放されないと幸せになれない
ということではないし、完璧になってから
でないと愛されない、愛せない、
ということでもないのです。

歩みのすべての瞬間が、
愛そのものだった、と気づいたとき、
怨讐は感謝に変わります。

そしてまた、愛と感謝は
深まり続けていくのです。

自分に出会う歩みの喜びに
触れて行かれますように。

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