何かに真面目に取り組んで、
順調に努力を積み重ねていくと、
あるときそれがそこそこの成果
となって表れる時期が来ます。
厳しい下積みの時代から、
ようやく目に見える手応えを掴んで
自信をつけて行く時でもあります。
そういうことを何度か繰り返して、
かつて思い描いていたことが
大方できる自分になっていることに
ふと気づきます。
そのとき、
それまで懸命に追いかけていた
目標が完遂され、次の目標を見出せず、
迷ってしまうことがあります。
まだまだ道半ばで自分が未熟
であることはわかっているのですが、
どうにも、それまでのような
情熱を持てなくなって、
糸の切れた凧のように
宙ぶらりんに感じてしまう
のですね。
成長の過程で、
誰しもそんな踊り場のような
段階を経験することがあります。
どうにもバランスを崩して
居心地が悪く、こんな自分では
いけない、と焦れば焦るほど
空回りします。
とかく、
「かつての良かった時代の自分」
を目指して、そこに戻ろうと
してしまいがちなのですが、
大切なのは、「戻る」ことではなく、
この瞬間の自分にいかに向き合うか、
なんですね。
理想と比べて、それではない自分を
否定、修正するのではなく、
その自分を在るがままに見て、
差し出されているものを
受け取るのです。
否定、修正しようとする時、
私たちはその自分と対話するのではなく、
問答無用で、違う自分に移行しようと
躍起になっています。
その「違う自分」というのは
頭で考えた理想の自分なわけですが、
必ずしも、その自分が魂の指し示す
方向の自分であるかどうかは
また別の話です。
だから、理想の自分に何としても
ならなければ!と焦る気持ちを
落ち着かせて、
ただ、在るがままのこの自分と
対話していくのです。
それは、自分を否定的に見る
価値観を強制的に肯定的な価値観に
すり替えることとは違います。
ニュートラルな視点で、
ただただ現実に向き合うわけです。
あらゆる価値観の基準を外して
この現状を見るとしたら、
何に気づき、何を思うでしょうか。
そこからまた、新たな歩みが
始まっていきます。
今まで培ってきた諸々を携えて、
今のこの自分で、新たな現実に
対峙していくのです。
私たちは、
そんな仕切り直しのような段階を
いくつも越えながら、脱皮をするように
成長と進化を繰り返していきます。
脱皮前の蛇やカニの感覚は
わかりませんが、彼らもきっと、
むずむずうずうず、居心地が悪い
のでしょうね。笑
そのようなプロセスを
丁寧に観察しながら通過していくことは、
着実に力になって行くでしょう。
踊り場を越えて、
次のタームに進んだあなたは、
さらにクリアになり、放たれる
バイブレーションも透明感を
増していきます。
一歩一歩の歩みの質も、
格段に変化していることでしょう。
「かつての自分」のように
戻ろうとしなくて良いのです。
段階が進んだが故の不安定さを
引き受けて、その先に眼差しを
向けることです。
今のあなたには、
今必要な学びが差し出されています。
今目の前に在るものを受け取って、
応答すべきものに応答することを
疎かにしないように。
そこを疎かにすると、
空回りしてしまいます。
自身の道を見失うのは、
そういう時なんですね。
自分を見失った時は、
今この自分に戻るというのが
鉄則です。
それを否定するから、
自分を見失うわけです。
当然ですよね。
成長の踊り場を越えて、
さらに純度の高い自分を
表現して行きましょう。