学びは自分で見つけ、
自分で得るもの。
つくづくそう思います。
学生時代は、出された課題を
そつなくこなしていれば、
それなりの成績は取れたけれど、
社会人になったら、
そうはいきませんものね。
自分の立場を理解して、
やるべきことを把握し、行動する。
単純に言えばこれだけのことなのだけれど、
どんな意識でどこまで見て取れるか、
そして、どこまで取り組むかで
その成果の内容、質も変わってきますね。
その積み重ねが、その人の生き様になり、
その人の人生を作っていきます。
誰しも、完璧ではないし、至らぬところ、
得手不得手もあるでしょう。
様々なことに取り組む中で、
自分には何ができて何ができないのか。
何が好きで、何に興味が無いのかなどを
知っていきます。
やってみたら、
案外好きで夢中になってしまった
ということもあるだろうし、
好きだと思っていたけれど、
実際やってみるとそれじゃなかった、
ということもあるでしょう。
何事も、
ご縁があって人生から差し出されたなら、
まずはやってみたらいいんじゃないかな
と思います。
その中で、どれだけ創意工夫できるか、
言われたことをこなすだけではなく、
自分だからこそできることを
込めて行けるかで、
やっている自分自身も楽しく、
やりがいも出てくるでしょう。
そしてまた、これは違うと感じたなら、
そのときにどういう判断をし、
行動するかも学びです。
進むときにも学びは多いけれど、
退くときの学びも、より奥深いものが
ありますよね。
どんなときも、
自分の人生を創造していくうえで、
今の自分のこの判断はどうなのか、
という視点を持っている人と、
持っていない人だと、
その見ている景色、判断の結論が
全然違ってくるでしょう。
自分で人生を創造しているから、
今自分に何が必要かを知り、
主体的に学び、取り組むわけです。
もちろん、人生には物理的に、
やってくる課題をこなすだけで精一杯
というときもあるでしょう。
けれど、意識なんですよね。
そういう状況の中でも、
何を血肉としていくかは、
意識一つなのです。
ただつまらない作業を
我慢して通過するだけの時間にするか、
与えられたことを何となく創意工夫もなく
ぼ~っと受け取るだけなのか、
不平不満を漏らしながら、
被害者意識で仕方なくやるのか、
どうしてもダメなのなら、
せめて退き際に自分の筋を通した
退き方ができるか、
精一杯ぶつかってみて、
自分なりに掴み取るものを得ていくか。
渦中にいるときはわからないけれど、
時間が経って、離れてみてやっと
理解できることもあります。
ただ、そのときそのときに、
不器用でも、自分にできる瀬一杯のことは
やってきたと思える歩みなら、
きっと、今あなたは幸せでしょう。
なぜなら、
あなたはそういう自分を受け入れ、
評価しているし、今あなたは、
あなた自身とともに在るからです。
あなたの人生が、
自身で自分の人生を創造する晴れやかさ
とともに在りますように。