先日の出口戦略の記事の続き
のようなものですが、最近
色々あって考えたことを
綴ってみます。
母が亡くなって以降、
人間って、いつ突然人生の終わりが来るか
わからないものだ、という思いを
強く持つようになり、
色々な後始末がついて一段落した頃から
日頃の過ごし方に意識が向くように
なってきました。
次の瞬間にその時が訪れても
恥ずかしくないように、後始末を
してくれる人が困らないように、
という思いから、エンディングノートも
作りましたし、
細かいところでは、これまでは
玄関で靴を脱いでも、サンダルは適当に
脱ぎ散らかしていたのですが、
常にきちんとそろえておくように
なったり、
テーブルの上とか、引き出しの中とか、
キッチン周辺とかリビング、洗面所周り等、
生活空間を移動するときは、できる限り
整えて出るようになりました。
昔の武士は、いつ何時、
最期が来ても良いように、
常に身の回りは整えておくよう
躾けられていたという話を
聞いたことがありましたが、
確かに、最期を意識して生きると、
必然的にそうなるよな、と思いました。
そんなこんなで日々を過ごすように
なったところ、つい先日なのですが、
近所に住むご高齢の女性が自宅のお風呂場で
倒れているのを発見するという事件が
ありまして、色々思うことがありました。
この方は、私の子供の頃から家族ぐるみで
お世話になっていた方で、数年前に
ご主人を亡くされてから、ずっと
一人暮らしをされていたので、
日頃から気に掛けてはいました。
その日もたまたま弟と訪ねて行ったところ、
応答がなく、嫌な予感がして
声をかけながら家に上がっていったら、
お風呂場から声がして、行ってみたら
バスタブの中で倒れて身動きが取れない
状態でした。
幸い、お湯は入っていなかったので、
溺れてはいませんでしたが、一瞬、
母の時の景色と重なって、
息が止まるような思いでした。
そこから緊急通報して救急隊の方が
来るまでてんやわんやで、タオルを
かけたり服を探して着せてあげたり
しました。
そのときに、服がどこにあるのか聞いて、
あそこでもない、ここでもないと
あちこちふすまを開けたり箪笥の
引き出しを開けたりしたのですが、
90を越えた年齢の方にもかかわらず、
どこを開けてもきちんと整えらえていて、
その方の生き様を見た気がしました。
元々、その年齢でもとても頭が切れる方で、
しっかりされているのですが、
見えないところの隅々まで、きちんと
されているその様子に、見事だな、と
感じ入ったのでした。
そういうところに、お人柄というか、
在り様というのが表れますよね。
人に見られて恥ずかしくないように、
というのももちろんあるでしょうが、
後を頼む人たちに、できる限り
迷惑が掛からないように、という、
自分の人生に対する責任感
であるような気がしました。
日頃から、どんな意識で
日常を過ごしているか、
根底で見ていることが、
行動に表れるのだとつくづく
思いました。
日々何となく生きて、
ここをもっと改善しなくては、
これをやめよう、これをやろう
と思うだけではなかなか
変えられないことも、
自分の人生の終わりを思っただけで、
一生懸命変えようとしなくても、
自然に変わっていくものがあります。
小手先ではない人生観から
見えてくる景色って、ありますよね。
終わりがあるからこその人生、
よくよく有意義に、生きて参りましょう。