常日頃から、自分で見て、
判断、決断し、行動ずる。そして
結果を引き受けるということを
大事にしているのですが、
世の中の多くの人たちは、
そうではない生き方をしている
のかもしれないな、と
感じることがありました。
周りを見て、空気を読みながら
出すぎないように、誰かの気持ちを
害しないように、注意深く
丸く収まるような選択を
しているように感じたのです。
もちろん、
その人にもニーズはあるのでしょうが、
その場の輪を乱すくらいなら、
それを曲げる、あるいは引っ込めるのは
何でもない、というようなスタンスです。
その感覚を、私はあまり
心地良く感じられなかったのですが、
でも、世の中ではこれが多分
スタンダードなんだろうな、
とも思いました。
私自身もかつてはそうだったし、
そのことに違和感など感じもせず、
別の在り方なんて想像もできません
でしたから。
でも、いま改めてその在り方を思うと、
それは完全に他人軸で、自分が
窒息してしまうような在り方です。
その方たちだって、
あまりに自分をないがしろにしていたら
苦しくなって、いつかは爆発
してしまうから、ある程度は自身のニーズも
表現はされているのでしょうが、
根本的に、自分がお留守になっている
ことが多いような気がします。
私がそういう方たちの何に
違和感を感じているのかというと、
自分の意見やニーズを表現する責任から
逃げていることです。
それを言ったら嫌われてしまうとか、
自分の立場が危うくなるなどの
恐れがあるのでしょうが、
そこに、孤独や不安などへの恐れが
あるんですね。
それらの痛みに自分で対処できないので、
嫌われないように、受け入れてもらえるように
ふるまうことに必死になるのです。
万一、嫌われでもして仲間外れにされたら、
あの孤独や不安、悲しみの恐怖に耐えられない。
だから、自分のニーズを我慢するくらいは
何ともないという、自分をものすごく
軽んじるような在り方を自ら選ぶわけです。
表面的に見れば、いつでも誰にでも
愛想よくニコニコして不快にさせない人は、
優しくてみんなに好かれているように
見えるでしょうが、
根底にこうした構造がある場合、
それは真の優しさではなく、本質的には、
自身の恐れを避けるための駆け引き
だったりコントロールなのです。
本当に自分を大事にして自分軸で
生きている人は、そうした孤独や不安、
悲しみなどの感情を、自分で引き受けて
いるので、
もっとシンプルに自分のニーズを表現し、
相手をコントロールせず、節度をもって
尊重することができます。
そうしたやり取りの中で、
駆け引きではないシンプルな交渉、
すり合わせをして、
自分を大事にしながら
引くところは引く、と
落としどころを調整していきます。
そして、結果がどうであれ、
それを誰のせいにもしないで引き受けるから、
心が自由で楽なのです。
誰かや何かのせいにしたり、
結果を引き受けないのは、
一見楽に思えますが、実は自分の力を失い、
無力さの中に自分を閉じ込めることに
なるんですね。
人間関係の中で、自分軸を持てない人は、
何を恐れているのか、その恐れが実現
してしまったらどんな気持ちになるかを
掘り下げて、その感情を癒し、統合
してあげましょう。
癒せた分だけ、恐れが減って、
本来の自分でいられる場面が
増えてきます。
他人の顔色を無意識に追っている
在り方が、いかに不自由で不自然
なものであったか、と気づくでしょう。
地に足をつけて、自分軸で立つこと、
どうぞ大事になさってください。