頭で思い描いた理想が
どれだけ善良で美しいもの
であったとしても、それが必ずしも
命の願いと一致するとは限りません。
人が幸せを感じられているのは
確かに素敵な状態ですが、
そのときに、本当は絶望を感じるのが
実は命の願いの方向性としては
正しいということも、あるのです。
たとえば、
最悪の犯罪行為のようなことをして
富や権力を得、望みを叶えたとして、
それが命の願いと一致するでしょうか。
あるいは、
世間からは非常に尊いと評価される
自己犠牲の行為をしても、本人の心が
抑圧によって悲鳴を上げていたとしたら、
それも命の願いと言えるでしょうか。
もちろん、命の願いは
頭で考えてわかるようなもの
ではありませんが、
あらゆるレベルで調和する在り方を
指し示しているのが命の願いなので、
自身の行いで、自分や誰かが泣いている
行いというのは、違うのです。
ただ、多くの人が難しく感じるのは、
表面的に調和しているように見えても、
その状況のどこかに不調和が隠れている
ケースだろうと思います。
ごく表面的な、上っ面だけを見ていては、
わからないのですよね。
特に、そこに「自分の都合」が
関係してくるとき、それをかぶせて
見てしまいがちです。
たとえば、
相手が苦しむ姿を見ているのが辛い
とすると、相手に笑顔でいてほしい
と願ってしまいます。
一見それは美しく、正しい願い
のように見えて、非常に意地悪な
言い方で言い換えると、
私の心が安らかでいられるように、
あなたには笑顔でいてもらわないと困る
といった動機が隠れていることが
あるのです。
つまり、「あなたのために」と
願っているように見えて、実は極めて
利己的な願いであることに、
美しい願いであるが故に本人も周囲も
気づきにくいということがあります。
そういった「自分の都合」や
世間的な価値観などを抜きにして、
ぐっと深く本質に対峙するのでなければ、
本当の願いに触れることはできません。
命の願いに意識を向けていると言っても、
頭でそれを知ろうとしているとか、
マインドのフィルターをかけて
正しい在り方を模索している人は
多いです。
そうではなく、
命の願いの真意を、真心で聞く
と意識してみてください。
真心は、頭ではないですよね。
また、自分の思いがいっぱいでは
命の願いの真意が心に入ってきません。
どれだけ真心で誠実に聞けるかは、
あらゆる人間関係にも通じます。
命の願いが聞けない人は、
やはり現実の人間関係の中でも、
相手の真意を正しく聞くことが
できません。
自分の思いや都合、ジャッジメントや
価値観で捻じ曲げたり切り捨てたり
するからです。
そういう方は、エネルギー的に見ると、
相手にも触れていないし、命の願いにも
触れていません。自分の殻にこもっていて、
エネルギー循環もしていないんですね。
そうなっているにはなっているだけの
理由があるのでしょうが、
本当に触れると意図したときに
どんな思いや感情が浮上するかが
この状態を解いていく糸口になるでしょう。
この辺り、また折を見て
書いてみたいと思います。