自分軸で生きるときに、
自分の感情や思いに正直であることは
とても大切なポイントです。
けれど、こう言うと必ず出てくるのが、
それって、我儘だったり自分勝手になって
しまわないでしょうか?という
不安からくるご質問です。
そう思ってしまうのも無理はないな、
と思うのですが、何も、湧き出る感情を
そのまま誰かや何かにぶつけたり、
思うままにふるまって、
他人に迷惑をかけても良いのだ、
と言っているわけではありません。
それに、自分の感情に正直であること
自体についての概念が少し違うのかな、
と思います。
多分、
そのように暴走してしまう不安がある方は、
そうした感情に飲み込まれ、また
自分自身を駆り立てる衝動に我を見失って
振り回されている状態を想像している
のだと思います。
けれど、
私が言うのはそういう状態のことではなく、
あくまでベースは、しっかりと
命の導きに繋がって在る状態で、
深いところから湧き上がる思いや感情を
受け止めて行動することを言っています。
この両者がちゃんと識別できて、
命の導きにしっかりと軸が立った状態で
筋を通した行動をしていくと、それは必ず
あらゆるレベルで調和をもたらす
行動になっていきます。
逆に、そうならない「自分に正直であること」
は、どこか自分の一部が切り離されて
暴走している状態なのだろうと思います。
以前にも、浅いレベルから湧き立つ衝動と、
深いレベルから湧き出てくるものの
違いについて書いたことがありましたが、
改めて書いてみると、
前者の場合は意識が外向きで
自分がお留守になっている特徴があります。
衝動は強烈で、わかりやすく派手です。
たとえて言うと、目の前にニンジンを
ぶら下げられてパクつかずにはいられない
といった、ニンジンしか目に入らないような
盲目さがあり、
本人はその衝動のエネルギーに
すっかり飲み込まれているので、
抗うのはとても難しいです。
一方の後者は、前者の声よりもずっと静かで
微かなので、容易に派手な衝動にかき消され、
握りつぶされてしまいがちです。
けれど、じっとそこに意識を合わせていくと、
疑いようのない直感的な理解のような
確信的な感覚があります。
こんな例をイメージしてみてください。
何か友人からとても魅力的な投資話が
来たとします。
自分の心の中では、
もうその投資話の派手な魅力に
欲望が掻き立てられて仕方がありません。
そこに、友人は今なら限定で。。。
これを逃したら、もうこんなお得な話は
来ないかもしれない。
といったキラーワードを囁きます。
チャンス喪失の可能性に、
欲望の衝動と恐れが相まって、
もう冷静な理性はうまく働きません。
けれども、その人の心の奥深くでは、
微かだけれども、不穏な心のざわつきが
確かにうずいていたのです。
とは言え、
暴走しまくっている欲望の衝動に
あっさりとかき消されてしまいました。
そんな弱気でどうする!
チャンスをつかむ奴は、この不安に打ち勝って
成功したんだ!
とかなんとか頭で格好の良い言い訳をして、
飛び込んでいきます。
その結果、やはりその投資は危険なもので、
多大な損害を被ってしまった。。。
なんてことがあったとします。
この話のように、
欲望が暴走しているときは、
周囲が見えなくなり冷静な判断も
できません。
けれども、そんな中でも
よくよく振り返ってみれば、
内なる導きはちゃんとサインを
出していたんですよね。
あの微かな心のざわめきこそが、
まさにそれでした。
けれど、欲と恐れにそれは
容易に握りつぶされてしまったのです。
内なる導きにしっかり繋がり、
それに応答できる自分で在るには、
常に深く自身の内側深いところに
問いかけ、それを最優先にする、
という意思がないと、無理でしょう。
頭でその重要性がわかっている
というだけでもまだ弱くて、
自分で本当に導きというものが
自分の人生にとって最優先のことだと
腑に落ちて初めて、
それを本当の自分軸の基盤として
生きることができるようになるのです。
こうして確かな基盤をベースにして
自身の心に湧き上がるものを
常に見ていくと、暴走の可能性というのは
あり得ない、というのがわかると思います。