自身の現実に差し出されたものから
逃げないということは大事ですが、
それは必ずしもすべてのことを
受け取らなければならない
ということではありません。
受け止め、向き合った結果、
退避するとか、断固とした態度で
受け入れないと決めるという場面も
あるわけです。
これは逃げたわけではなく、
向き合った結果出した自分の答えなわけで、
「適切に応答した結果」だと言えます。
では、最初から逃げているのと、
適切に応答した結果、退避するなどの
結果に至るのと、何が違うのかというと、
差し出されたものに向き合ったのか、
向き合わずにスルーするとか逃げたのか
の違いです。
ものごとは、何でもかんでも
受け入れればいいというものではありません。
ちゃんとNoが言えるようになる
という課題の時もあります。
受け入れてはいけないものを、
正しく識別できる課題や、
容易く自分を差し出して目先の
メリットを得る在り方を改める
という課題だったりするときも
あります。
自分の現状から差し出されている
課題とは何なのか。
頭でぐるぐるしていても、
それはわかりません。
深く自身の奥底に心を澄ませ、
ある選択をした時に感じるもの、
もう一つの選択の時に感じるものを
比べて見ましょう。
楽だけれど、どこか後味の悪い答え、
大分勇気が要るけれど、自身の奥が
奮い立ってしゃんとするような感覚など、
微妙に逃げているものがあるときは、
自分でもわかるのではないでしょうか。
自分の人生の責任を引き受けることで
内側から力が湧いてくる感覚がある時は、
多分それが正解なのだと思います。
逃げない、というのは、
そういうところなんですね。
たとえば、
その場から退避することには
だらだら居続けることよりも
勇気が要ることかもしれません。
けれども、心の奥底で
ここは自分のいる場所ではないと感じながら、
目先の平安や安定に見えるもののために、
自分を差し出し、不毛な我慢を強いることを
続けるのは、ある面で逃げと言えるでしょう。
また一方で、
この状況から退避し、終わらせることには
依存を断ち切って自分自身の足で立つ
という課題に直面しなければいけない等、
かなり勇気が要ることかもしれません。
この課題に挑める自分なのかどうか。
挑むとしたら、今できること、
準備することがあるのかどうか。
退避するとするならば、それは今なのか。
同じように現状に留まる結論になるにしても、
退避の準備期間としてそれをすごすのか、
ただ現状維持として過ごすのかで
まったく意味も違ってきます。
大事なのは、差し出された問いに対して、
自分から逃げずに対峙することの
本質を理解することです。
向き合って、自分の責任において、
自分なりの結論を出すということから
逃げている人は少なくありません。
そういう人ほど、逃げている自覚がない
ケースが多いですね。
自分の人生に自分で責任を取る
という意識がないまま、
無意識に責任転嫁をする在り方で
生きているからでしょう。
こういうところをしっかり押さえて、
自分の人生を自分の足で生きる意識を
持つようにすると、人生の歩みの質は
格段に違ってきます。
よくよく、ご自身の在り様を
振り返ってみてくださいね。