自分で自分の人生の責任を引き受ける
というのは自立の必須条件です。
自立というと、経済的自立のことを
イメージされる方が多いのですが、
何も経済の分野だけの話ではありません。
自分で働いて経済的には自立していても、
精神的に自立できてない人は
沢山います。
年齢的には「いい大人」が
大人になり切れずに
精神的に自分で立てないまま、
不健全な依存状態でいるのは、
その人のみならず、関わる人たちすべてに
歪な関係性しか築けなくなっていきます。
それが、共依存というものです。
健全な自立を確立している人からすると、
不健全な依存をされるととても
気持ち悪く感じるのですが、
共依存関係にある人同士だと、
それが実に心地良く感じるんですね。
パートナーや親子間だと、それこそが
愛だと勘違いをしやすいのですが、
それは単に自分が生存していくのに
都合が良いだけの心地良さです。
生きやすいということ自体が悪いわけでは
ないのですが、共依存で問題なのは、
その状態が行きつくのが健全な成長や発展
にはなり得ないということです。
あなたなしでは生きていけない、
と言われたら、そんなにも自分を必要
としてくれる嬉しさや、この人は絶対に
自分から離れないだろいうという安心感が
あるかもしれません。
けれど、それが本当に相手のために
なるでしょうか。
あなたがいなくなった後、
相手が生きる気力もなくして
生きられないようになるのが
愛なのでしょうか。
相手があなたから去らないように、
相手に自身の力を見失わせ、
飛び立てないようにするのは、
確かにあなたにとっては都合がよく、
安心ですね。
けれどもしそれを喜ぶとしたら、
それはあなたの利己的な独占欲や支配欲、
都合ではないでしょうか。
本当に相手の健全さ、成長の力になる愛は、
決して依存を許しません。
その姿勢が時には厳しく、
非情に感じられるときも確かにあるでしょう。
けれど、自分もどれだけ辛くても、
破滅が待っているだけの目先の生ぬるい
心地良さは選べないのです。
何より愛する存在のために、
憎まれ役を買って出ることもあります。
その人の精神性が幼い内は、
厳愛は理解できません。
生涯、恨まれる可能性もあります。
けれど、いつか未来にあなたの愛が
理解できるくらいにその人が成長したとき、
どれだけ尊い愛が自分に注がれていたのか
という事実に打たれ、その人の霊性は
美しく花開くのです。
その尊さ、気高さに、
生ぬるい愛の皮をかぶった
利己的都合のコントロールは、
その醜悪さを顕わにします。
こうした共依存からの脱皮、昇華は、
必ずしも親から子へ、というケース
ばかりではありません。
子から親へというケースも
もちろんあります。
親御さんにとって、子離れも
淋しかったり辛かったりするものですが、
親離れも、自分が離れていくこと自体が
親を裏切ることになるのではないかと
罪悪感を抱く方も結構多くて、
実際、そのように言ったりして
子離れを許さない親御さんというのも
いらっしゃいます。
いわゆる「毒親」と言われるような
方の場合は、子供さんの方もさっさと
見限って離れることができるのですが、
そうでもなくお互いがお互いに
大切な存在と認識しているケースでは
なかなか踏ん切りがつきにくいですね。
そうこうしている内に、
40代、50代になって、介護が始まって
やがて親御さんがいなくなった後、
その方の人生はどうなるのでしょうか。
本当に自分の人生を生きられず、
親の人生を引き受けながら、また
自分も自分の人生を親に預けながら、
生涯自分の人生を生きられずに終わる。
そんな道筋が見えてしまうので、
愛とは何か、よくよく問い、
自分が何を選んでいるのか、
自覚されることを願うばかりです。