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さて。
最近、セッションの中で
真心とか誠についてお話することがあり、
改めてそれについて書いてみたいと
思いました。
私のお伝えする感情解放ワークは、
単に抑圧された感情を解放するだけの
テクニックではありません。
自分自身の奥深いところに坐す
内なる神に触れ、導きを生きるための
様々なレベルのガイドです。
人間として、この命をどう生きるのか
というところを深く問うていくことは、
テクニックのレベルでできるものでは
ありません。
けれども、どれだけこれをお伝えしても、
頭でテクニックとしてこなそうとする
人はいて、
そういう方の自分への向き合い方を
見ていると、ハートを固くしたまま、
自分に詰問するように問い、
気持ちに寄り添うことなく
前に進もうとしています。
この状態で、どうして自分と和解し、
本当に通じ合って人生を生きることが
できるでしょうか。
もしあなたにそのように接する人が
いたならば、あなたはそういう人と
人生を信頼し合って、ともに幸せに
生きていけるという希望を
持てるでしょうか。
どうぞ、自分にも他人にも、
真心と誠を持って向き合い、
対話し、心を通わせてください。
対人関係で深く傷ついてる人は、
自身の最も純粋な心を閉ざして
生きている人が多いですが、
その傷を持ったままで構築する人間関係は、
ずっと歪んだままでしょう。
どれだけ閉ざし、避けていたとしても、
いつかはその傷に向き合わざるを得ない
時は来ます。
それが今生なのか、別の人生なのかは
わかりませんけれどね。
ただ、肉体を持って生きている内にしか
できないことがある、ということは
覚えておきましょう。
色々な経緯があって、
傷ついているのだと思いますが、
その痛みをしっかりと受け止め、
統合していくこと。
誰かのせい、何かのせいにして
自分を被害者にして加害者を作るのではなく、
その出来事、構図が見せるものの奥を
よくよく見ることです。
自分が何に気付かなければいけないのか、
問わねばなりません。
本当に謙虚に見て、深く問うならば、
自分が一方的な被害者なのではなく、
自分の中にもズルさがあったことが
わかるでしょう。
それを認めてしまうと、
それまで自分を正当化していた
諸々の立場、ストーリーが
崩れてしまうので、
抵抗する人は多いです。
けれど、凝り固まった心の思い癖は、
そういうところを認める痛みを
通過しないと、解けないことも
多いです。
そんなとき、
自分のズルさを脱ぎ去っていくのが
自分自身への誠や真心なんですね。
不誠実であったり分かり合えない
不信感の中で、本当は求め続けていたのは
誠実さであったり真心であったのでは
ないでしょうか。
あなたの今の在り方の根幹に、
真心や誠はあるでしょうか。
外にそれを求めるのなら、
まずは自分が体現しないとね。
自分がそのようにして在るとき、
自分の人生にとって付き合うべき相手
というのは自ずから見えてくるでしょう。
誠や真心を、よもやテクニックで
どうにかしようなどと思い違いを
しないように。
どんなにテクニックが素晴らしくても、
そこに誠や真心がないテクニックに
魂が入ることはありません。
よくよく、心されますように。