5月31日(日)17時から
毎月恒例の満月のオンライン瞑想会を
行います。
ウエサク満月、みなさんとともに
意識を向けて参りましょう。
詳細、お申込みはこちらから。
⇒満月のオンライン瞑想会
さて。
先日、母が亡くなって以来、
ずっと会っていなかった地元の友人と
久しぶりに偶然ある神社で再会した
という出来事がありました。
お互い気になりつつも、去年は
私もあまりにも色々ありすぎて
連絡を取る気力も時間もなく、
落ち着いてからも
何となくタイミングがつかめなくて
そのままになっていたのです。
まさに神様のお導きということで、
ご縁が復活してよかったな~と
互いに再会を喜び合ったのでした。
空白期間を埋めるように様々な話を
したのですが、地元同士ということで
同じ氏子の地元の八幡様の話題になりました。
この八幡様、実は10年近く前に
とある事件で全国に不名誉な名を
とどろかせてしまったのですが、
当時は氏子の中にもかなりの動揺が走り、
それまで親しみを込めて参拝していた
人たちも、心が離れてしまった向きも
多くありました。
その時私はどう思っていたかというと、
氏子として、ただただ神様に申し訳ない
という思いがありました。
神様には罪はなく、神様が悪いのではない。
長年の人間の業が積み重なり、自分たちが
浄化しきれない闇となって、膿を出さざるを
得ないまでになってしまったのだ。
だから、申し訳ないことだと思ったんですね。
というのも、私は代々この地に住んで、
八幡様のご縁でこの地に生を受けた
と感じていたし、
父も祖父も曽祖父も、この八幡様のお祭りが
大好きで、神輿を担ぎ、運営に尽力し、
ご加護を受けて商売をしながらこの地で
生きてきたわけです。
東京でも指折りの大きなお祭りで、
地元の人も、お祭りの運営は大変だけれど、
なんだかんだ言いながら、年を取っては
あと何回、このお祭りを見られるだろうか、
と言いながら亡くなる人が多いんですね。
そんな土地柄で育ってきたので、
昨日今日のご縁ではないわけです。
だから、さぁ大変なことが起こった、
これからどうやって復興したらいいだろう
ということをずっと考えてきたんですね。
事件直後は、かなり場のエネルギーも
荒れていたのが、蔭で様々な方が
尽力されていたようで、近年は随分と
鎮まって、清浄な場になったと感じます。
どれだけの労力がそこにあっただろうと
思うのです。
そんな中で再開した友人は、
あの事件以降、参拝を止めてしまった
そうなのですが、何だか自分の軸が
定まらず落ち着かないのだけれど、
どうしたらいいだろう、と
相談されました。
後日改めて友人宅を訪れたときに
神棚を見ると、八幡様のお札は
入れていないそうで、確かに定まらない
感じがありました。
そう尋ねられたので、
私は先のように自分の考えを伝えて、
私の自宅の神棚には、ずっと八幡様の
お札を入れているよ、と伝えました。
そして、昨日今日のご縁の人だったら
離れても仕方ない。
盛り立っているところに乗るのは
簡単だけれど、先祖代々の
ご縁の深い者としては、
膿み出しの大変な出来事の後だからこそ、
その真意を汲んで力を尽くすのが
務めだと思う、と言いました。
起こっている出来事の、何を見るか
なんですね。
感情解放ワークでも、
自分が最も辛い時に、私たちは自身から
離れてしまいがちだけれど、
本当はそういう時だからこそ
絶対に離れてはならないということを
お伝えしているのですが、それにも
通じることだと思います。
自分というのはどういう存在で、
だからこそ、その時々に
どう振舞うべきなのか。
身の処し方があると思うのです。
そんなことを思った一件でした。