今日はつらつらと近況でも。
明日は東京ではお盆のお迎え火なので、
色々と準備の最終確認をしております。
真菰で編んだござも精霊馬も準備完了、
お盆につきものの茄子と胡瓜は、
何年か前には我が家の菜園で採れたものを
お供えできたのですが、
今年は我が家の茄子は育ちが遅くて、
間に合わず、胡瓜は毎年、うどん粉病
がひどくてうまく育てられた試しが
ないので、今年は植えませんでした。
というわけで、スーパーで農家さんが
作ってくださったものを有難く
使わせていただきます。
蓮の葉っぱも竹も、自分のところで
育ったものをお供えできます。
まぁ、街中であっても、
少しでも我が家で採れたものを
お供えできるのは、私自身の楽しみ
でもありますね。
そんなこんなで、先日は少し早めに
お墓参りに行ってきました。
店のこと、家族のこと、
色々と報告事項があって、
どうにかやっています、と
報告してきました。
仏壇には毎日話しているのですが、
納骨の日に見た、お墓の下の空間に、
父のお骨の隣に母のお骨が並んだ
光景を思い出しながら、
父亡き後、母と何度も訪れた
お墓を前に、順番、を思いました。
そんなこともあってか、
その日、夜寝るときに
母の人生は幸せだったろうか、
と振り返っていて、
母が亡くなる直前の様子から
あの日のこと、それからの
怒涛の日々が思い出されて、
自分でも表現しようのない思いに
泣けて泣けて仕方がありませんでした。
最近やっと落ち着くことができましたが、
店の清算や遺品整理を必死でやって、
丸五か月かかりました。
人によっては何年もかける方も
あるのでしょうが、後回しにできない
様々な事情もあり、一気に駆け抜けた
感じでしたね。
あんなのは、もう一度やれと言われても
二度とできないだろうと思いますが、
上の弟と協力してやってきたこの歩みを、
父や母は、どう見ていただろうと
思います。
母は晩年の人生を、
別の選択をしようと思えば、
することもできたと思うのですが、
それは選びませんでした。
父と営んできた店を守って、
人生の最期の日まで店に立って
逝くことを選んだんですね。
それは母の意地でもあり、
誓いでもあったと思うのですが、
望み通りとはいえ、それ故に
制限されたこともたくさんありました。
遺品整理をしているときに、
たくさんの写真が出てきました。
母が中学生の時の写真から、
新婚旅行の記念品、様々な家族旅行、
子供たちの入学式や運動会、町会の花見、
お祭り、パーティ、店の新装開店等々。
若い頃の母は、こんなにきれいだったんだ
というのと、晩年の様子、最後に言葉を
交わした時の表情などが思い返され、
一人の人が駆け抜けた一生に、
淋しいとか悲しいとか感謝でもなく、
ただ万感の思いが溢れてきました。
母は、幸せだっただろうか。
多くの人は、幸せにこだわるけれど、
人生というのは、幸せとか不幸を越えて、
ただ、駆け抜けていくもの
なのかもしれません。
私もいつか、あちら側に帰るときに、
どんな人生を生きたと報告
できるでしょうか。
まだしばらくはこちら側で
頑張るつもりですが、
いつか来るその日のために、
よく生き、よく逝けるよう、
日々丁寧に生きて行こうと思います。