人生生きていて、
一度も絶望というものを体験せずに
終えられる人は、よほど幸運なのか、
不幸なのか。
できれば味わいたくはない感情
ではありますが、それを知るからこそ
開けてくる景色というものも
あるだろうと思います。
人の心の奥深くに降りていくと、
しばしば、深い絶望の淵で
時間を止めたまま固まっている
気持ちのカケラに出会います。
それは今生のものなのか、
はるか昔の別の人生の記憶なのか。
とにかく、暗く冷たい空間で、
生気なく膝を抱えてうずくまっていたり、
立ち上がる気力もなく倒れこんで
いるのです。
多くの人は絶望し、そのように
身動きが取れなくなることを恐れて、
必死で絶望を拒絶し、目を逸らして
なかったことにしようとします。
けれども、どれだけ拒絶しようとも、
既に絶望した自分はそこにいて、
自分が拒絶したことによって、
誰にも助けてもらえずに
封じ込められているのです。
その絶望した感情のカケラの
悲しみや苦しみが、その人の日常の
気分に染み出してくるのです。
セッションでそういうカケラを見つけると、
即座に救助活動を開始するのですが、
本人がどれだけこの見捨てられた
気持ちに触れ、命を送ることができるかが
カギになります。
絶望したらそこで終わりだ、と
信じている人は多いですが、
実際、絶望の後も人生は続いています。
決して、終わりではないんですね。
絶望は癒して、その次に進むことが
できるにもかかわらず、終わりだと
信じてしまっているから、前進を拒み、
時間を止めてしまうのです。
絶望して身動きが取れなくなってしまうのは、
命のエネルギーの供給不足で、栄養失調
になっているからです。
命のエネルギーをしっかり送って
満たしてやれば、動けるようになります。
そうしたら、次の一歩を踏み出す
気力を得て、再び止めていた時間が
流れ始めます。
少し時間はかかるかもしれないけれど、
永遠の終わりに生ける屍になり続けて
いなくて良いのです。
絶望は、恐れ忌み嫌うべきものでは
ありません。
自分が自身を癒す力を信じて、
受け止め、統合し、通過させていくべき
人生の一つの体験なのです。
そうして、絶望を通り抜けて、
あなたは自身の新たな可能性を
見出すでしょう。
そうして復活していった人を、
どれだけ見たでしょうか。
その渦中にいるときは、
本当に苦しくてこの世の終わりと
信じて疑わなかったでしょう。
それでも、通過してみれば、
驚くほど人生は調和して、
幸せなのです。
なぜそこまで絶望したのか。
人生から差し出されていた
メッセージをもう一度拾い直して、
丁寧に応答し、軌道修正していきます。
何が過ちだったのか、
何が引っ掛かっていたのか、
何を知るべきだったのか、
行動すべきだったのか。
一つ一つ、応え直していくわけです。
そうした中で、
絶望の悲劇に向かっていた道が、
いつの間にか、幸せに向かう道に
変化していきます。
絶望の中で留まり続けるということは、
人生から差し出されていたメッセージに
応答できていないということです。
命のエネルギーをしっかり補修して、
受け取るべきものを受け取り、
応えていきましょう。
道はまだ続いています。
幸せの方に。
あなたの魂の歩みに、
最高最善の守護と導きがありますように。
そして、祝福を。