愛に自分を開くこと

私たちの多くは、
愛を渇望しながら彷徨い、
複雑な人間模様を織りなしながら
人生を生きています。

偽物の愛、本物の愛、
取引、依存、搾取、コントロール、
絶望、諦め、拒絶などなど。。。

人生におけるあらゆる悲劇の根底に、
愛にまつわるこじれたテーマが
見て取れます。

どれだけの人が、
これら愛にまつわるテーマをクリアし、
幸せを謳歌しているでしょうか。

長い長い魂の旅路の中で刻まれた
深い傷や獲得してきた徳目が、
今この瞬間の私たちの感性や
思考・行動パターン、内的外的状況の
すべてに反映されています。

その旅路のどこかで
愛にまつわる相当に深い傷を負ったことで、
愛を拒絶する誓いを刻んでいる方も
しばしばあって、

そのことによって、
真実を知る感覚に封印がかかって
しまっていることがあります。

愛と真実を知る感覚に、
どういう関係があるのか、と
不思議に思う方もあるかもしれませんが、
これが大ありなのです。

どういうことかというと、
愛を拒絶しているということは、
内なる神を拒絶することに等しく、

そうなると、ハートの導きが
受け取れなくなってしまいます。

自分の命にとって、
何かしらのものごとがどうなのか、
それを知り判断する感覚が
機能しなくなってしまうわけですね。

そういう人は、
頭で考えることで、判断する基準を
代用しようとします。

どれだけハートの感覚から
感じなければならないと思っても、
心を澄ませてもさっぱり
何も感じられないので、
そうしてしまうしかないのです。

そういう状態の人の意識は
常に浅いところで彷徨い、
軸のない不安定さを何とか支えるために
何かにしがみついていたり、固い信念で
理想を生きようと力んでいたりします。

深いところで本当に内なる神に触れ、
導きに自分軸を置いていたなら、
もっとゆったりとリラックスして
自分自身にくつろぎ、自分を大きく開いて
あらゆるものごとをニュートラルに
受け取れるでしょう。

けれど、自分を支えるべき軸が
取れない人は、狭く硬直した
マインドレベルの頭の基準で
自分を支えているので、

その基準から外れたものごとに対して
非常に硬直した態度をとりがちです。

そうしていないと、
自分の世界を支えられないので、
代わりになる軸を持っていないと
どうしてもその在り方から
離れることができません。

では、その代わりになり得る軸
とは何かと言えば、内なる神の導き
に戻る以外にはないのです。

ということは、
あの深い傷を受け止め、癒し、
再び愛を受け入れて生きることに
自分を開いていく、ということを
意味しています。

愛に自分を閉ざしながら、どうやって
神に触れようというのでしょう。

愛を恐れ、距離を取り、
決して触れないようにしながら
神を求める人は少なくない印象ですが、
神の高尚な概念に逃避しないように。

どこまで愛に自分を開いていけるか、
その最も自分が恐れている方向に
逃げずに対峙し、その恐れを
昇華させていけますように。

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