私たちは日々、様々な感情や感覚を
感じていますが、それらを感じたときに
抱いた「思い」によって、
その感情や感覚がある意味づけをされ、
本当は全く関係がないのに、その後
長いこと自分を苦しめる価値観が
固定化されてしまうことがあります。
具体的に例を挙げてみると、
誰かに大事にされなかった、
邪険に扱われた、無視されたなどの
経験をしたときに、
悲しみや淋しさ、惨めさ、悔しさなどの
感情を味わったとします。
それらを骨身にしみて感じながら、
その人は、
自分なんていない方がいいんだ、
自分には価値がない、自分は
ここにいるだけで周りに迷惑をかける
疫病神なんだなどと思いました。
このような場合、
悲しみや淋しさ、惨めさなどを
感じたのは事実で、それは辛い体験
だったでしょうが、
それ以上でも以下でもない、
言ってしまえば、それだけのこと
なのです。
けれど、あまりに辛い体験故に
その人は、自分について
様々なネガティブなレッテルを
貼り付けてしまいました。
自分なんていない方がいいとか、
価値がない、疫病神だ、というのは
事実ではなく、マインドの中で
想像された概念です。
それらのレッテルが、
辛く苦しい感情に貼りついて、
生々しく本当のことのように
認識されてしまうのです。
感情や感覚を感じるのは事実で、
概念はマインドの想像であるという
この違いを明確に切り分けることが
ワークではとても大事なのですが、
ワークで受け止めていくのは、
感情や感覚の部分です。
掘り下げをしていて
自分は無価値だという言葉が
出てきたときは、
それを概念でありマインドの言葉
だと気付いたうえで、さらに
その言葉の奥にある感情や感覚を
拾っていきます。
概念と感情の識別ができないと、
こういうところで感情に
辿り着けないんですね。
私の感覚的なイメージで言うと、
こういう概念(思い)の言葉は、
感情のエネルギーのフィールドの芯に
入っている感じがあって、
その思いだけ引き抜いたり
書き換えたりしても、
周辺の感情のエネルギーは
残っているので、
その状態だとまた概念は
再生されてしまいがちです。
逆に、感情のエネルギーを
しっかり癒して統合出来たら、
その概念は成立しなくなるので、
自然に消えて、抜けていきます。
感情のエネルギーは生々しいので、
触れたがらない人が多いですが、
根本的にこれを避けている限りは、
表面だけ癒えたように見えても、
実はそっくりまるっと残っている
ということが続くでしょう。
たとえば、
仲間外れにされた感じ、
というような表現をする人が
ありますが、
これも、
仲間外れにされた状況の事実
はあるのでしょうが、この表現だと
感情は入っていません。
そうされたときに感じたのは
どんな「気持ち」だったでしょうか。
悲しさ、淋しさ、惨めさ、屈辱感、
怒り、孤独など、様々に傷ついた気持ちが
あったでしょう。
こうして言葉にしてみると、
それらを認めることに抵抗を
感じるかもしれません。
それだけ、自分が悲しかった、
淋しかった、などを認めたくない
という無意識の抑圧があるわけです。
そうなると、その感情は、
あるにもかかわらず、自分自身にも
認識されないまま、無意識の領域に
沈んで行って、癒しの機会を
失ってしまいます。
だから、
自分が本当はどんな気持ちに
なっていたのかに意識を向けることは
癒しに向かう一歩なのです。
シンプルに、
自分が本当に感じていた
気持ちを癒すことで、
呪いのように貼りついていた
ネガティブな概念が剥がれていきます。
余計な概念を乗せて、
殊更に苦しみを深くしないように。
ただそれだけのこと、の
素の感情を見つけていきましょう。