昨日は自分で自分の道を歩む意識
について社会情勢に絡めて
書きましたが、
さらに霊性の道を歩むという視点からも
書いてみます。
これについては常々思うところがあって、
色々もどかしい思いを抱くことが
多くありました。
とは言え、私程度が大きなことを
言える立場にも無いのですが、
これまで16年半、この仕事をしてきて
依存心や目覚めるためのマニュアル
を求めるような風潮にも、ずっと
疑問を感じてきました。
何をもってして覚醒や目覚めというのか、
私にはよくわかりませんが、
ただ、私の感覚で、本当に
内なる神とともに歩んでいるのか、
頭でそれを求め、頭の理想で論じ、
何かをしているのか、というのの違いは
確かにあると感じています。
だから、セッションや瞑想会でも、
良くその辺りを指摘することはあります。
理想の型にどれだけお行儀良く
品行方正に収まっていたとしても、
本質に全く触れていないことも
多々あります。
神学についてどれだけ滔々と論じ、
説教ができたとしても、
内なる神の臨在に触れていなければ、
一体それに何の意味があるでしょう。
絵に描いた餅について、
その理論を熱心に学んでも、
その餅を実際に食べて味わい、知り、
その体験を生きることを求めていないな、
と感じる人がとても多いのです。
餅は論じるものであって、
そもそも味わうようなものではない、
というような在り方です。
え、食べられるんですか?
それって本当にあったんですか?
そもそも、自分がそれを食べて良い
のでしょうか?という距離感なのです。
いやいや、そもそもあなた、
それを求めていたんじゃないですか?
どうぞ実際に手に取ってみてください、
とどれだけ勧めても、
いや、自分には「まだ」恐れ多くて。。。
と遠慮なさる。
そういう方を、
私は「絵に描いた餅コースの方」
と呼んでいるのですが、
頭では「餅の実食コース」に転向した
認識でも、実際の意識はまだまだ
元のまま、振りだけの方もあります。
「実食コース」は、
審査も資格もないのですから、
本当に求めているのなら、今すぐ
触れれば良いのですよね。
でも、魂のそれまでの歩みの中で、
強烈に神に触れることを自ら拒絶
している方もあります。
それでもなお、拒絶しているのは
自分の側であって、神ではありません。
そういう魂の傷があったとしても、
なお、神の懐に戻るという意思が、
真の霊性の道であろうと思います。
誰かに言われたから歩むとか、
格好が良いからそれを選ぶとか、
便利そうだしメリットがありそうだから
求めるとか。
神との邂逅は、
そういうレベルのものではありません。
歩まずにはいられないから、
歩み続けるもの。
そこには何の利害も下心も
関与しません。
多分、メリットを求めて歩むと、
必ず失望する時が来ます。
そうして、何度も失望して、
下心が拭い去られ、それでも残るものが
自分の道を導いていくでしょう。
それは、マインドのレベルで学ぶとか、
マニュアルでどうこうできるような
ものではないことは、感じていただける
のではないでしょうか。
マインドで求めるよりも
もっと深く響くところから、
どうぞご自身の道に向き合ってみてください。