私にとって、
セッションをお受けくださる方に
深く向き合っていく時間は、
言葉に表せない位に貴重な時間です。
クライアントさん自身にとって
大事な場であるのはもちろんですが、
深く、真っすぐに向き合うほどに、
そこに自分自身の在り様が映ります。
クライアントさん自身に向き合いながらも、
同時に自分自身にも対峙している
わけですね。
手加減したり、言い訳したり、
怯んだりすればそれもそのまま
今のお前はこんな在り方をしているぞ、
と見せられるわけで、
一番一番が真剣勝負です。
とは言え、自分でも気づかぬ内に
甘いところがあって、気づけ!改めよ!
というサインがやってきます。
鈍いので、軌道修正できるまでに
長くかかることもあるのですが、
そうか、とわかると、
こんなところまで踏み込んでいかねば
いけないのか、と認識を新たにすることも
あります。
それまでは、手加減しているわけでは
決してないのだけれど、どこか
その方がある線まで来ることを待っている
ようなところがありました。
でも、待っているのではなく、
こちらから踏み込んでいけ!
もっとだ!という促しが来たので、
私もそれができる自分で在るよう、
さらに精進していかなければいけません。
踏み込むには踏み込むなりの
意識の質が必要で、今の私では
短時間ならできるものの、そのレベルを
長時間維持するにはまだ土台が足りません。
また、さらに繊細な周辺技術も必要でしょう。
でも、今度はそれがデフォルトになる
くらいのレベルに、自分をもっていかないと
いけません。
課題が明確になるというのは、
有難いことです。
あとは、やればいいだけですからね。
そうやって、人生は常に、
自分がどう生きれば良いのかを
導き続けてくれています。
自分自身の道に対して、
どれだけ真剣に生きているかは、
明らかに意識の質に表れます。
やっているつもりと、
やっている人の在り方は、
黙っていてもわかる人にはわかります。
真剣に、と言うのは一生懸命とは違って、
私の定義では、逃げ道を一切断って、
と言うほどの感覚に近いでしょうか。
どれだけ一生懸命でも、
逃げ道をあちこちに残して一生懸命では、
あまり見るべきものは成らない
ように思います。
それぞれの道で、それぞれの向き合い方が
あるでしょう。
けれど、見える道の形の違いによらず、
本当に自分の対峙し続けてきた人は、
互いに通じるものがあるものです。
通ってくる関は、同じということでしょうか。
本気で対峙している人は、
必ず闇を通り抜けていきます。
闇を知り、闇を越えた世界を見ているでしょう。
だから、多かれ少なかれ、
闇への処し方を知っている。
ウン十年、自身の限界の奥に
挑み続けた人の意識に触れると、
そういう闇との苦闘の痕跡を
見て取ることがあります。
昇華されているものもあるし、
拭い難く、深く残っている傷もどこか
感じたりもするのですが、
これほどまでの人に未だに傷を残すような
体験とは一体、どんなものだったのか、
と思わざるを得ません。
まぁそれはそれ。
みなさんのレベルがアップするのに
ついて行ける自分を鍛錬しないと
いけませんね。
精進、精進。