自分が普段どんな空間で
過ごしているかは、
肉体的にも精神的にも
結構影響があると思います。
私自身の体験で言えば、
母が生きていた時は、
私がどんなに整理しようとしても、
母は物を捨てられない人だったので、
家中に使わない物たちが
溢れかえっていました。
これはもう何年も使ってないし、
壊れているものもあるから捨てよう
と言っても、頑として触らないで!
と譲りませんでした。
自分で動かせる範囲は片付けていましたが、
母が亡くなってから、その膨大な物の
片付け作業が押し寄せてきて、
しばらくは大変でした。
けれど、その作業が一段落して
新たな暮らし方が再編されると、
今まで感じていたストレスの多くは、
膨大な不用品と、自分の暮らし方に
合わない物たちを仕方なく使っている
ことから来ているものが大きかった
と実感しました。
そういうものを抱えているだけで、
エネルギー場が混乱するんですね。
それに、自分のバイブレーションに
合わないものを置いておくというのは、
それによっても乱されるものがあるので、
無意識レベルでも負荷がかかります。
家族と暮らしていると、なかなか
家全体をピンポイントで自分好みに
カスタマイズするというのは難しい
でしょうが、
できる限り、今の家族にとって
もっと良い状態になる空間って
どんなものだろう?と、話し合ったりして
一緒に空間を作り上げていく努力は
必要かな、とは思います。
私は毎年10月頃からぼちぼち
大掃除を始めるのですが、
去年大改革をしたので、
今年は相当に楽ですね。
私が特に大事にしているのは
拭き掃除で、自分の手がかかることで、
空間自体に結界を張るような
イメージがあります。
私はレイキ等のエネルギーも持っているので
意識しなくても拭き掃除をするだけで
その場所にエネルギーがかかるのが
良いところです。
お掃除が終わったときに、
ピタッと空間が清まるような状態に
なるのがいいですね。
この感覚になったら
お掃除完了の合図です。
人がお掃除する様子を見ていて
何となくお掃除が終わった後も
清まっていない感じがするときがあって、
お掃除をする人の感性がそこに
表れるのだろうな、と思うことがあります。
そこまで潔癖症とは思わないのですが、
道をほうきで掃いても
細かい塵が残っているとか、
玄関の扉に手垢がべったりついているとか、
文字通り、垢抜けないですよね。
それでお掃除を終えられるのは、
感性の問題なのだろうとと思います。
お坊さんの修行では掃除地獄と言われるように
ものすごく厳しくお掃除をすることが
言われるそうです。
それはお掃除を通して、
仏法の器たる者の感性を身に着けていく
ということなのだと思います。
つまり、
手を抜いてはいけないところ、
曲げてはいけないところで
必ず正しい在り方ができるように、
ということです。
家の周りをお掃除している時に
しばしば感じることなのですが、
未だにたばこの吸い殻が落ちていたり、
自動販売機脇のリサイクルボックスに
食べ物の殻や家庭ごみをわざわざ
持ち込んで捨てている輩もいて、
どこに住んでいてどんな仕事を
している奴かは知らないけれど、
こんな奴に絶対仕事を頼みたくないな、
と思うのでした。
以前には、赤ちゃんの使用済みおむつが
突っ込まれていた時期もあって、
こういう親に育てられた子供さんは
可哀そうだな、と思ったことが
ありました。
まぁ、一事が万事、
ホログラフィックにその人物の
人となりが表れていますよね。
何をするにも、
その人が何を大切にして、
どんな意識でそれをしているのかが
大事です。
そんなことを思いながら、
今日もお部屋のお掃除です。